量と質の関係 あるいはスタージョンの法則をいかに理解するか
□テレビが面白くなくなった理由/コンテンツの質と量について
ふーむ。読んだけど何をいってるのかよくわかりませんでした。
とりあえず自分が「量と質の関係」について思っていることを手抜き気味に。
量は質に転化するという話もあるよ!
量より質と申しますが、ニューヨークだったかな、美術学校でこんな実験したそうだ。クラスを二つに分けて、片方は一点だけ作品を提出すればその出来により成績を判定する。もう片方は、提出作品の数によってのみ成績を判定する。したら、量のみで判定するクラスの方が出来も圧倒的によかったという。
— 笹本@劇場版モーレツ宇宙海賊2/22封切 (@sasamotoU1) 2014, 1月 15
つまり、数さえいっぱい出ればピラミッドの裾野が広がるおかげで頂点も高くなることが期待出来る。これを、量は質だ!と言っております。問題は、傑作増えても見れないまま気付かないままだと観客として悲しいことだ。うーむ、量は質向上も期待出来るが、客も修羅の道を歩まねばならんなあ。
— 笹本@劇場版モーレツ宇宙海賊2/22封切 (@sasamotoU1) 2014, 1月 15
すみません、この実験についてご存じの方がいたら教えて下さい。
とはいえ、いくらやっても質にならない量の重ね方もあるよね。「間違った努力」みたいにいわれちゃうことが結構ある。特に研究開発や創作系ではなかなか一筋縄ではいかなさそう
悲劇的なのは、よくなりたいと思っているために、この人達がみんな、成功したければこうしなさい、と教えられてきた唯一のことをやっているってこと---もっとフォ力しなさい、ポジティブに考えなさいってね。そのためにみんな前進あるのみって感じで前へ突き進み、ますます多くの時間をつぎ込み、さらなる努力をひたすら続けてるんだ。
それが成功のための標準的なアプローチだ。もっと多くのことをしろ、そうすればうまくいく。いや、実際、このことを考えてご覧。それこそが日本のシンプルな戦略なんじゃないかな。ライバル会社の欠陥品は千につき十だから、うちは五に抑えよう。あそこの製品には付加的な機能が三つあるから、うちは六つつけよう。彼らは漸進主義の名人なんだ。それでうまくいっていた。自動車産業では成功してたね。欠陥車の数がゼロに近づき、アメリカ人が追いつくまでは。
質につながらないというか、質は間違いなく上がってるんだけど費用対効果的に限界があるとか、知覚品質的には全く意味が無いとかそういう話だとは思うけれど。
きみたちの事業は、試してみた結果、失敗に終わったんじゃない。
試すこと自体が欠落してたんだ。
じゃあ、どうすれば創作において量から質を生み出すのか
□なぜ量が質を生み出す可能性を持っているのか?
http://gitanez.seesaa.net/article/104531516.html
http://gitanez.seesaa.net/article/104598676.html
自分で手を動かしながら考えること。
他者の作品・思考に触れて、その背後にある方法を自ら追体験的にドライブすること。
この2つの量の追求こそが、知の高さと広さをバランスよく向上させてくれるのかなと思います。創造性ってこの両輪があってこそです
最後に、スタージョンの法則についておさらい
「スタージョンの黙示」の意味は、本人によって詳細に明示されている。
「最低の作例を引っ張り出しては叩く」という悪意の攻撃に対して、自分から直接反撃しているのだ。90%のSF作品をゴミカス扱いするのと同じ基準を用いれば、映画、文学、消費材などその他あらゆるものの90%も同様にゴミである。言葉を変えれば、「SFの90%がカスだ」という主張ないし事実のもつ情報量はゼロである。なぜならば、SFは他の芸術/技術の産物と同様の質的傾向を示しているに過ぎないからである。多量の駄作の存在は、それらを受け入れる市場の存在を前提にするが、それが存在しないジャンルは名作を生み出せない。そのような駄作は、駆け出しの制作者の修練の場でもあるからである。それを失ったジャンルは、後継者を失って先細りになりがちである。
良く「すべてのジャンルの9割はクソだ」という部分だけが取り上げられるけれど、むしろこの発言の趣旨は「「最低の作例を引っ張り出しては叩く」という悪意の攻撃」への反撃であり、「名作に必要な土壌」の話でもあると思いますがいかがでしょうか。
私の監視対象の青い人とかがいつもこれやってるわけだけれど、あの人一回スタージョンの法則についてツイッターで引用してたのに「一つのダメな事例を見て、全体を叩く」行為が全然直らないですね。 正しく理解できてないんじゃないでしょうか。