なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

承認欲求に関する話を「疎外」という言葉でとらえなおしてみる

言い方は何でもいいけど、「サードプレイス」的なものは大事よな、という話。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20130306

3つのうち、ふたつを持っていると器用に生きていけるし、3つもってたらそれだけで最強です。でも、ひとかどの人物になるのは「どれかひとつに集中して秀でた人」だけ。
世の中、そんなもんです。

先日「私にとって深刻な問題は承認欲求じゃないような気がするんだよなー」という気持ちを「包摂欲求」なる言葉にたくして漠然とした形で書いてみました。
http://possession.hatenablog.com/entry/2014/01/10/002716


これに対して池田さんが、問題を整理する記事を書いてくれました。文面は変えませんが少しだけ強調などつけて引用します。

ttp://bulldra.hatenablog.com/entry/2014/01/12/112315(追記のためh外しました)

寂寥感はもちろん複合的な問題ではあるのですが、大きくは三種類あって、それに応じて問題の範囲が変わります。

①福祉政策が限定的であるから現実的にリソースが不足しており、「社会構成員として認められていない」という感覚 → 社会からの疎外
②国からは社会構成員として認められたり、建前としてはモラルが浸透しても、差別的な扱いを受けるのは変わらない → コミュニティからの疎外
③客観的には量的に足る福祉があっても、満足できず、自尊心が保てない → 自己疎外

有難うございます。 欲求からではなく「疎外」という観点から整理していただいたので、自分の中の問題がはっきり整理できたような気がします。

言葉だけの問題かもしれませんが、どうしても欲求って言葉で考えると、どうしても、どこまで欲張るかとか、どこまでわがままいっていいのかみたいな話のような気がして腰が引けてしまうのですが、「疎外」という問題に自分自身がどう対応するか、と考えるとニュートラルに考えやすいと思うので、個人的にはとても気に入っています。自分は今の状況で、様々な疎外を感じている。特に自己疎外が著しい。コミュニティからも少々疎外を感じている。じゃあどうすればいいのかな、って考えられます。

というわけで、この記事読んだ後で、私は「サードプレイス」的なものについて考えてみました。





「疎外」についての対応策としての「サードプレイス」的なるもの(言葉はなんでもいいです)

http://blogos.com/article/74309/
「サードプレイス」原義はこちらです。スタバが提唱してるものとはちょっと違うので注意。

オルデンバーグがいうサードプレイスとは、個対個が向き合うディープな人間関係(これは家族や職場)ではなく、その場所そのもの、そしてその場所にいる「セット=ひとかたまり=群れ」としての人間たちを指す。それらの存在によって支えられる我々人間たちのあり方もサードプレイスだ。
(中略)
サードプレイスの発展形としての人の集まりを、もう少しサードプレイス的意味合いとともに定義しなおしてもいいかもしれない。

例えば「ニッポンには対話がない」では「個の共同体」という言葉が使われています。

平田「モラルの崩壊などと言われる問題がいたるところで生じてきていますよね。そこで、このままではいけない、なんとかしていけないと考えた時に

A :地域社会がその重層性を保っていた頃の昔のモラルを取り戻す方向で、道徳教育、しつけやマナー、しきたり教育の強化ということを考えるのか

B :それとも、もうそういうふうに社会が変化してしまったのだから、それに対応する力をあらたにつけていく方向で考えるのか、二通りの方向に行くと思うんですね。」


(中略)


北川「つまり、平田さんがおっしゃっているのは、壊れてしまったものを元に戻すというよりは、新たな形での重層性の再構成ということですね」



平田「それはもう、人為的につくっていくしかないと思っています。重層性といった時に、簡単にカテゴライズすると三つくらいの層を持っていたほうがいいんじゃないか。


①1つは、もちろん資本主義社会ですから「利益共同体」。これは企業ですね。 (ゲゼルシャフト?)


②それから、昔ながらの「地域共同体や血縁共同体」。これは自分の選択不可能なものです。これも崩れていってはいるけれども、多少はつきまとうでしょう。ゴミを出したりすることに関して、いくら個人の価値観がバラバラになるからといって、じゃあ自分の感性からいって燃えないゴミは火曜日にだそうとかは言えません。これはしょうがない。我慢する (ゲマインシャフト?)


③それから、もう一つが「個の共同体」とぼくは呼んでいるんですけれど、芸術とか文化とかスポーツとか、要するに個人がある程度、自由意志で参加できるもの。この「個」の共同体は組み換え可能なんです。あまり我慢しなくていい。「利益共同体」である企業は、いったん就職すると、最低限、その共同体への忠誠心のようなものが必要だし、利潤を追求するための力が強く働きますから、個人の価値観や意思が潰されるという問題に直面することもある。しかもそのたびごとに会社をやめるようなことは普通はできない。でも、「個の共同体」は嫌だったらやめていいんです、いつでも。所属する期間も最初から限定的でいい。そういうものが必要なんです


人生の中で、この三つのそれぞれに参加する度合いが、例えば会社員の場合で言うと、「利益共同体」が半分くらい、「地域共同体」が三割くらい、そして「この共同体」が二割くらいあるといいんじゃないか。みんながそういう具合に、コミュニケーションの場に重層的に関わるようになると、個人の生活も、社会のありかたも、たぶん少しは健全なものになるでしょうね。

はじめに「サードブロガー」を提唱されたいぬじんさんのツイートですが、いぬじんさんは称号としてより、こういうコミュニティ的なものを提唱されていたのかな、と今更ながら思いました。一時期誤解していて本当に申し訳ないです。





とにかく昔の人は、「利益共同体」か「地域共同体」しかなかったかもしれないけれど、今はそれにこだわらず「サードプレイス」を自分で作ったり参加していけばいいんじゃないか?という話が時々耳に入ってきます。

「利益共同体」の中にいて、利益を無視してでも自分の幸せを、まず自分の承認をと言っても、なかなかうまく行かない。「地域共同体」においても、共同体や、そのルールが優先されることが多い。 こういった場所で「あ、やりがいとかいらなんで残業代ください」といいきってしまうのはどうなんかな、、と思ってたりする。そういう人がいてもいいとは思うけど自分には合わない。それよりかは、「サードプレイス」的な考え方のほうが自分にはしっくり来る感じです。



ワーク・シフト」においては「自己再生のコミュニティ」って言葉が使われてます。ワーク・シフトの場合は全部が「個の共同体」になるという上層世界の話ですが、それでも「自己再生のコミュニティ」が必要という考え方は共通してるので、ここ本当に大事なんでしょう。 

孤独な競争から、協力して起こすイノベーション

関心分野を共有する少人数のブレーン集団である「ポッセ」、多様なアイデアの源となる「ビッグアイデアクラウド」、そして安らぎと活力を与えてくれる現実世界の友人などで構成される「自己再生のコミュニティ」を築くために、意識的に努力しなくてはならない

http://d.hatena.ne.jp/loisil-space/20121226/p1

第三のシフトは大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ。やりがいと情熱を感じられ、前向きで充実した経験を味わえる職業生活への転換を成し遂げ、所得と消費を中核に据える職業人生から脱却しなくてはならないというわけです。





スターバックスとサードプレイス
http://www.ma-kebu.com/starbucks/

サードプレイスの概念は、アメリカの社会学者レイ・オールデンバーグによって“The Great Good Place”という書籍で紹介されていたもの。オールデンバーグ氏によれば、都市で生活している人には、これら3つの居場所が必要であり、サードプレイスの機能を次のように定義している。<サードプレイスの機能>

1.サードプレイスは、心をニュートラルにする。だからそこでは、ありのままの自分に戻れる。
2.いろいろな人との出会いの場を提供してくれる。
3.知的フォーラムや、個人のオフィスとしても機能することがある。
4.ローカルな場所にあって、いつでもアクセスできる。
5.包容力があり、いろいろな人を受け入れる。


□人々にとっての"サードプレイス"が変わった。そこに対応することと、変えてはいけないこと
http://www.starbucks.co.jp/company/future.html

自宅が第一で、職場や学校が第二、そして第三の居場所というのがサードプレイスの意味ですが、いまは昔ほどはっきりした区別はなく、もっとファジーになってきました。自宅の周辺にも会社の周辺にも、個人があちこちにサードプレイスを求める流れがあって、しかもある人にとってはそれが公園だったり、僕にとっては本屋さんだったり、好きな居場所も人それぞれです。だからいかに多くの人に「サードプレイスとして選ばれるか」が、今後のテーマ

スターバックスはサードプレイスではない
http://blogos.com/article/74309/

□サードバックスに関する論文。この言葉の原典は「Great Good Place」という本らしいです。
http://www.minto.or.jp/print/urbanstudy/pdf/u40_01.pdf




□サードプレイスをさらに発展させた形が朝活だという事実
http://www.f-hiroaki.com/?p=270

今世の中にはサードプレイスにあたるものが少しずつ
増えていると感じませんか?

▲勉強会
▲シェアハウス
コワーキングスペース

私の中で、常設の店舗以外で人々が集まるスポットを「ベースキャンプ」と呼んでいる。

私は自分自身が気に入るベースキャンプがなかったため自分でベースキャンプを
それぞれ朝と夜に1つずつ作りました。