ともあれ互助会は滅びるべきである

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教養と健全さ

教養の意義について言及した記事を読んだ。

記事では教養についてのポジティブな面だけでなく、ネガティブな面についても語られているが、私はまずポジティブな面についての記述まで読んで「おおお!」と興奮した。

教養というものがどういう場面で必要なのかという答えを考えていて、それは、「階級転落に対する下方硬直性」だと言っていいんじゃないかと思った。


確かに、「何百年も社会の最底辺にいる人たち」というのはいるだろう。しかし長い年月の間、階級を上ったり下りたりしている人たちもまた多いはずだ。私が職業高校やいわゆる底辺校で教員をやっていた時の生徒たちも、三代前までは豪農だったり立派な商家だったりしたが商売に失敗してすべてを失ったとか、元映画女優(早くだったようだが)の息子とか、いろいろな子どもがいた。


自分の周囲の人を見ていても、どんどん社会の底に沈んで行ってしまう人もいれば、あるところで踏みとどまって、金はなくても清々した生活を送っている人もいる。その何が違うかと言えば、家庭に教養というか文化力があるかないかの違いだと思った。教養的基礎のある家庭で育った子は、家は貧しくても学習意欲があるし、奨学金や留学制度などさまざまな手段を使って自力で道を開いていこうとする力がある。「襤褸は来てても心は錦」ではないが、「教養」というものはもともと下層階級のものではないので、貧しくても新聞を読んで社会を論じる力を持っていたり、政治家を批評したりする力を持っていたり、良いものを見る目を持っていたりする。だからある程度以上身を持ち崩すことが少ない。そういう家庭で育った子供は、そこから再び抜け出して日の当たる場所に出ていく力を育てやすいのだ。それが「階級下降に対する下方硬直性」ということの意味だ。

http://www.honsagashi.net/bones/2013/11/post_2736.html

知識以外の「教養」について

教養(育ちの良さ)というのは知識に限らず、むしろこの「○○下降に対する下方硬直性」というキーワードで考えるといろいろ繋がりを感じる。

「エマ」なんかの話をしたほうがいいかもしれないけれど、最近「囚人リク」というマンガを読んだのでその話とかしてみる。

この漫画の主人公リクは最貧のスラム街出身で、もちろん教育など受けたことはない。だが「正義の信念を持った大人(おじさん)に出会い、短い期間ながら大事に育てられ、その教えを聞き、生き様を目に焼き付けた」という経験を持つ。

それゆえに生きるためには他人を傷つけ、蹴落とすことが当然とされる刑務所空間に落とされても、「おじさん」に恥じることはすまい、と優しさを保ち続ける。そこでは、おじさんが「人間性の下降」に対して、「下方硬直性」が働いている。

この言葉を使うことが適切かどうかわからないけれど、他の人間が過酷な環境において「適応」という名の病にかかっていくなかで「健全さ」が保たれるような感覚。もちろん「健全」であることが正しいかというとそうでもない。フィクションでなければこのリクは途中で死んでしまうであろう確率が高い。いくら「健全」でも死んだら意味が無いと考えたってちっともおかしくない。ただ、この「健全さ」には、あこがれを感じる

勉強でなくとも、そういう「下方硬直性」を働かせるものは「教養」として捕えることができるかもしれない。


他で言うと、「鈴木先生」で知られる武富健治さんの作品に「掃除当番」という作品が在るのだけれども、この作品でも真面目で明るい「友人」の存在が、やや内気でネガティブ方向に引っ張られそうな主人公を支えるシーンがある。

もう1つだけ例を出すと「天使なんかじゃない」における冴島翠の関係と麻宮裕子の関係なんかは、どちらかが一方的に「教養」を受け取るだけの関係ではなく、お互いがお互いの支えになっていくので、見ていてすごいぐっとくる。


あたしは冴島翠みたいになりたい
うれしい時はちゃんと喜んで
悲しい時はちゃんと泣けるような
そんな 当たり前のことが
みんな意外と出来なかったりするのよ
あんたが みんなに好かれるわけがわかるわ
須藤くんが あんたを選んだ気持ちがわかるわ
あたしもあたしなりにがんばるわよ
意地はってても いいことなんかひとつもないし
あたしだって 好きな人には好かれたいと思うわよ
せめて…
選ばれなくてもいいから….

知識があっても、ネガティブな方向に堕ちていく人より、こういった人の存在のほうが大事かもしれない。

・・・あれ、なんか教養の話のはずが、友人の大切さの話になってしまった。

私もそういう「自分が楽な方向に流れていくのを止める」人がいる…いや、「いた」になってしまってるかもしれない。最近はほんとに自分が楽な方楽な方に流れていってるのをはっきり感じる。 そういう時、多分その人のことはすっかり忘れてしまっている。

http://d.hatena.ne.jp/TM2502/20120920/1348101547
うわーもう1年以上前の記事だけど、私全く成長出来てない。むしろ後退してる。確実に禿げ上がりそうになってる。 そろそろ、思い出すべきかもしれない。すっかりだらけてしまった自分にはツライけれど。でもこのまま顔向けできないまんまというのはもっとつらいかも。


日本人の「甘さ」と「教養」みたいな

他に、私は「物語三昧」というブログの記事をよく読む。このブログを執筆している人は、原則的にはガチガチのマッチョ志向で、日本人の甘ったるさについてもっとしっかりしろよって喝を入れるような口調でしゃべることが多い。ちょっとこわい。だけれど、ニコ生ラジオかなにかで<その「甘っちょろさ」は裏返せば「優しさ」でもあり、日本人の成熟をしめすものでもある。ガツガツしてるやつらにつけこまれることも多いだろうけれど、素晴らしいことでもあると感じる>みたいなことを言ったたことがある(文脈が正確に思い出せない引用は本当はやっちゃダメなんですが…)。そういうアンビバレントといっていいのかわからないけど複雑な感情を持ってるんだな、とわかった時にこの人のこと好きになった。
ttp://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120614/p1

格差と教養

上の記事は、「格差」についての電子書籍も出版されているはてなコンビニ店長殿にも読んでもらいたかった。だいぶ前に私は、店長の電子書籍を読んだ後、感想のつもりで「高学歴と低学歴の違いってなんだろう」的なタイトルで某増田記事を書いたことがあって、それに対して店長が「悲しくなるくらい正しい」ってブコメをくれたことがあったのを思い出す。そのことを考えると、店長は多分こういうことが言いたかったのじゃないかな、と思ってる。