なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

「世の中に不満があるなら自分を変えろ」の取り扱い

同じ言葉を使っても、全く印象が異なることがある。

1 世の中に不満があるなら自分を変えろ。
2 それが嫌なら、耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ。それも嫌なら…

短い文章だけれど、「文脈・背景を理解して使っているか」「2つの文のうちどちらを強調するか」「自分の主張にあわせて改変などを行っていないか」「誰にその言葉を向けるのか」を考えると、だいぶニュアンスが変わってくるし、言葉を発する人の姿勢なんかが見えてくる。


私、この言葉について間違った使い方や恣意的な引用する人があまりに多すぎたせいで、実際にアニメ見るまで、「攻殻機動隊」って作品自体大嫌いでした。 引用してる人たちは、ファンのつもりかもしれないけど、無自覚にものすごいネガキャンやってるんですよね。


実際に見てみたら、全然作品に於ける意味付けが違うやん、と。「原作の素子はアニメとキャラ違うから…」とか言うまえに、アニメ単体で見ても、この言葉は後半の展開とセットになって始めて意味を持つのであり、単体で使うと意味が変わる。

具体的にはこちら読んでもらえればと。
http://standalone.blog50.fc2.com/blog-entry-92.html

この言葉は、作品中では否定されるためにある…とまではいかないまでも、後のより重要な自己決断への布石としてある。 にも関わらず、単体で引用しそれを主張とすることは、アニメ版1期へのアンチ宣言に等しいのではないか。「24話かけたアニメの展開よりも、1話のこの言葉のインパクトが強く、同意できた。自分の主張は、1話を見てその言葉に同意した時から全く変わらなかった。それ以上受け取るものはなかった」と主張するのに等しいのではないか。

そのあたり、自覚してやってるのか疑問。

極端な見立てにおいて、この極端な例についてのみ「繊細チンピラ」という言葉を当てはめていることが重要。こういう極端な例以外について、考えなしに「繊細チンピラ」という言葉を使うのは非常に危険。

http://possession.hatenablog.com/entry/2013/09/13/131136

と前に書いたけれど、「繊細チンピラ」同様に、「世の中に不満があるならまず自分を変えろ」も使いどころが非常に難しいと思う。まぁ、変な使い方する人いっぱいいますよね。

こういう使い方だったらいいな、と思う

ここまでだともううん万回も繰り返されてきた話だろうから書く必要もないだろう。逆にちょっと「この使い方はいいな」とおもったものがあったので紹介。

これも、必ずしもアニメにおける言葉の位置づけを踏まえた使い方ではないけれど、あまり嫌いではない。というか好ましいと思う。

「世の中に不満があるならまず自分を変えろ」というあの台詞に影響を受けた私の選択や発想転換は、「世の中を変えたい」人には欺瞞と思えるかもしれない。でも「あなたはあなた、私は私」という大原則すら共有できない人が「自分を変えずに世の中を変える」つもりなら、私は関わりたくないですね。

私がどうしても何やかやの「活動家」の類いと距離を置いてしまうのはそのためかもしれないです。なぜか背後からばかり撃たれるような気分がするので、いつまで経っても全方位的に武装解除できない。とはいえ時代に即して仕組みが新しく変わっていくことには、基本、賛同したいと思ってるのですよ。

この言葉が引用される時、大抵の場合は、「それが嫌なら黙ってろ」というニュアンスに重点が置かれることが多い。

また、「まず自分を変えろ」を強調する場合でも、自分がマジョリティであることを前提に、マイノリティ側の人間にそれをぶつけることが多い。その言葉を引き受けるのは自分ではない。現状を変えようとする人間を黙らせようという時に、現状を自己責任の次元に引き下ろすために使う。

こういうのは使い方としてなんかあんまり好ましくないし、アニメでの使い方にもそぐわない気がする。

そうではなく、だれよりもまず自分がこの言葉を引き受けて実践しようとしている姿勢が好ましく感じるのかな、と思う。



なんにせよ、私はこの言葉、使い所難しいと思うのでなかなか手を出せない。
要は、勇気がないんでしょ?」うるせー。