なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

宣伝とヤラセ(擬似イベント)の違い

http://www.accumu.jp/back_numbers/vol5/%E3%80%8C%E3%83%8A%E3%83%81%E5%AE%A3%E4%BC%9D%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E7%A5%9E%E8%A9%B1.html

だいぶ古いらしい(1993年。オウム以前!)けど、なぜかホッテントリに上がってた記事が面白かった。

「ヤラセ」とは広義にはブーアスティンが『幻影の時代(原題The Image)』で論じている「疑似イベント」である。テレビ時代の「疑似イベント」とナチ宣伝について,ブーアスティンは次のように述べている。

記事の最後で語られている「宣伝とヤラセの違い」がすごいわかりやすいと思ったので、自分が見返すためにちょっと編集してメモしておきます。以下の引用は原文とは異なる「私のノート」なので、予めご注意下さい

①宣伝は「故意にねじ曲げられた魅力ある嘘」である。
 疑似イベントは「あいまいな真実」である。



②宣伝は興奮したいという感性を満たし、
 疑似イベントは情報への欲求を満たす。



③宣伝は事実を意見で置き換える。人々の為に明白な判断を下すことによって,人々を直接的に動かす。 
 疑似イベントは「合成的事実」を与える。人々が自ら判断を下す「事実」の基礎を提供することにより、人々を間接的に動かす。



④宣伝は、真実を実際以上に単純で理解しやすいものとして信じ込ませる。
 疑似イベントは、単純な事実を実際以上に微妙で曖昧なものにすることで人々を引き付ける。


⑤宣伝は経験を極度に単純化し,疑似イベントは経験を極端に複雑化する。


ヤラセと宣伝は、どちらも人を動かすという意味では同じだが、
形態や目的、手段が明確に異なることですね。

ほこたてやあるある大辞典に限らず、
いろんなところでヤラセだのステマだのが話題になる。
それぞれがどういう形をとっているのかをこういう前提で分けてみると面白いかも。

はてなでも身内ブクマやブクマスパムがなぜ問題になるのか、とかね。

「ヤラセ」が問題になる現在は,エレクトロニクス技術とコンピュータ制御によって神話的世界と現実世界の区別がより一層曖昧になった「仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)」時代に達している。いやしくも「表現」たるものが,「ヤラセ」なしにあり得るという発想自体、当時にはなかった現在だけのものだ

たしかになー。 これは報道や宣伝に限らず、創作の世界でも関係ありそう。
マンガの「リアリティ・チェック」問題と、人気作品が長大化する関係とか。
昔はそこまで描く必要なかったのにというところまでリアリティを求める読者がいると、昔の感覚ではgdgdして、一番大事なところがぼやける問題とかもありそう。




参考

ヴァイツゼッカー演説の精神―過去を心に刻む

http://www.nicovideo.jp/watch/sm15038405

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1190181491