なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

みのもんたは本当に自業自得だとは思うんだが、しかし・・・

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1779105.html

んーなんか佐々木俊尚さん節みたいになりそうで嫌だけど一応思ったことを書いておく。

みのもんたがそうしていたからといって、今のみのもんた叩きを認める事は、みのもんたの影響力の強さを認めるようでなんだか気が乗らない。ひいては、「ほら、お前等やっぱりこういうのが好きなんじゃないか。みのもんたが一世を風靡したのはお前等がクズだからだ。人の心に、考えなしに人を叩きたい欲求がある限り、たとえこのみのもんたが滅びても第二第三のみのもんたが」みたいな話になりそうで、とても気が乗らない。

みのもんたを批判するというのは、そういうことではないのではないか。


自らが広めた風潮によって叩かれるみのもんたを見ていると、商鞅のエピソードを思い出す。

http://blogs.yahoo.co.jp/shigeharu01/3566154.html

成功とは裏腹に商鞅の法重視の考え方には不満が爆発寸前でした。既得権益を奪われた旧臣たちが商鞅への恨みを募らせていたのです。この事態を察した商鞅の側近が、「この辺が引き際です。商鞅様はあまりに恨まれています。」と告げたが、商鞅は「まだやり残したことがある。」といって取り合わなかった。

そして、とうとう商鞅の支持者であった国王(孝公)が亡くなり、太子が国王に即位した。すると、こぞって既得権益を奪われた旧臣たちが商鞅の数々の非道を挙げて、商鞅への恨みは一気に爆発した。また富国強兵策もすでに軌道にのり、もはや商鞅の力を必要としないところまで、成功していたので、新国王は迷わず、商鞅に謀反の罪を着せて処刑することに同意した。


さて、一方の商鞅は、何とか逃亡を図ろうとするが、商鞅のつくった法では通行手形のないものを通すことが禁じられていた。自分は秦の宰相だから、通行手形はなくてもいいんだと主張しても、「あんたほんとに宰相かい?だったら何で商鞅の変法鬼より怖い、ってことを知らないんだ。法を守らない者は打ち首になるんだ。俺はそんなのごめんだね。」といって通してもらえなかった。また、誰かにかくまってもらおうとしたときも「見ず知らずの人間をかくまったら、打ち首って法を知らないのかい?」と言われてかくまってもらえなかった。

いざ逃げようとしてみると、いかに自身の法が浸透しているのかをみることができたのはよかったのだろうが、結果、商鞅はすぐに捕まった。自身の法が自身に跳ね返ってきたことに皮肉を感じながら、商鞅は処刑された。

みのもんたのことは好きでもないし、自業自得だとは思っている。擁護する気にはさらさらなれない

みのもんた本人に関していえば、私はあまり興味が無く詳しくは知らない。調べる気も起きないので検証せずに適当なことを書くが、

みのもんた式といわれる、穴埋め方式で視聴者を引きつける手法を広めたり、
・新聞の内容をテレビで報道するという廉価な報道スタイルを持ち込んだりと、

テレビ局にとっては予算節約という意味で功績といえるものが会ったようなきもする。ただ、一視聴者の私としては、あまり昔から好きになれない存在だった。

そしてなんといっても、

・自分を棚に上げてニュースの対象を叩くことがゆるされる。
・落ちた犬を叩くようなスタイルは視聴率が取れる、というスタイルを広めた

そういう存在であると認識している。これも誤解があるかもしれないので、そのあたりはテレビに詳しい人に突っ込んでもらいたい。


そんなわけで、あくまで私の印象ではテレビ局の数字稼ぎには役に立ったのであろうが、商鞅と違って国を強くしたわけでも何でもなくむしろ日本を駄目な方向に引っ張った人物に見えている。個人的にはこの人がいて良かった、と思えるものがなにひとつないこともあって、擁護したい気持ちは全くない。今の状態はなるべくしてなったというしかないだろう。

ただ、みのもんたのことはどうでもよくても、みのもんた叩きの際に、みのもんたと一緒にないがしろにされている「何か」は擁護したい気落ちがある。

ただ、みのもんた叩きが激化すればするほど、ああ、いまの日本ってみのもんたの作法が浸透しているんだな、と思ってしまう。いまのままでは、みのもんた本人は滅びるかもしれないが、みのもんたの思想つーかミームは違う人間によって引き継がれる。そして秦帝国と同じようにみのもんた的風潮がこの国を席巻することになるだろう。


役者が後退するだけで、みのもんたのやり方はやはり正しかったのだ、という話になってしまう。


私はそれはあんまり好ましい展開だとは思わない。



なので、「みのもんた自身がそうしたから同じように叩いていい」という主張はしたくない。ネットのみなさまには、淡々と、今回の行為にふさわしいだけの批判をして、本当の意味でみのもんたを否定することに力を入れて欲しいと思う。



むしろ今回のみのもんたを過剰に叩きすぎず、そのかわり「今までのみのもんたの作法」を批判したい。そして、戦後日本の様に「いままでみのもんたが広めてきた風潮は誤りであった」とテレビ局に懺悔を促したい。みのもんたを根本から否定したい。みのもんたチルドレンの存在を許容しない流れにしたい。

そうではなくて、もっと根本的な部分でみのもんたという存在を検証し、根本から根絶してもらえればいいと思う。 「みのもんたのようなクズは、一時日本を駄目にしたが、日本人は賢いので、いつまでもみのもんた的なクズ量産システムに支配されなかった」みたいな展開になったほうが、日本人としては誇らしいのではないか。



んーだめだ。うまくいえない。やっぱり佐々木俊尚さん節になっちゃったかもしれない。