暁美ほむらとレザード・ヴァレス
変態ストーカー頂上決戦。
Should Deny The Divine Destiny of The Destinies.
「運命の女神が与えたもうた宿命を拒絶すべし」
(ヴァルキリープロファイルAルート)
愛のためなら神をも殺す。人はそれを純愛と…呼ぶ?
円環の理による救済というのはよくある神話(というか神話の本来的機能)
救済を受け入れたものと、拒否したものが見事に対比される作品としてヴァルキリープロファイルがある。
ヴァルキリープロファイルは、円環の理とにたような神話がベースにある。「エインヘリアル」というシステムだ。
北欧神話でいう戦死した勇者の魂。「死せる戦士たち」[4]とも呼ばれる彼らは、ヴァルキューレによってヴァルハラの館に集められる
「ヴァイキングの間では、死後ヴァルハラに迎えられることこそ、戦士としての最高の栄誉とされていた。そのため、エインへリャルとしての復活を信じて戦場においても死を恐れることなく、キリスト教徒より勇敢に戦うことが出来たと考えられている」
まどかマギカでも、魔法少女として勇敢に戦えば、最後には女神が迎えに来てくれるが、これと似たシステム。
円環の理に導かれることをすんなり受け入れたのがルシオ(というかどうしようもないんだけどね)と、拒否して意地でも女神を手に入れようとしたのがレザードが対比される。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1033923365
円環の理における救済を受け入れていたら…
ルシオとレナスの前身であるプラチナは前世では親密な関係であったが、エインフェリア召喚後はただの一戦士という位置づけになる。
詳細はゲームをプレイして確認してもらいたいと思うけれど、ルシオはAエンディング後に、完全に女神の支配下に従属することになる。女神の願いによって再生された形なので、もはやそこに対等性は存在しない。
その証拠に、続編である2ではそもそも登場すらしない。その程度の位置づけにとどまってしまう。
このことを考えると、ほむらが例のシーンで救済されることを選択するのも、ひとつの結末としてはありだろうが、一度そこに入ってしまえば、もうほむらは二度とまどかと対等な存在として結ばれることはない。
言い方は悪いが、その他大勢の一人、配下でしかない。それは、ほむらの本当の望みであっただろうか。
そこでもう一つ示される選択がある。「HENTAI」である。
あくまで女神を一人の人間として愛するなら、円環の理による拒否し、己の力で彼女を手に入れなくてはならない
「神ではなく人間としての存在であるヴァルキュリア、それが私が焦がれ、望む全てなのだ!」
「私にとってより大事なのは、ヴァルキュリアよ!!私が貴方を愛しているという事実なのだから」
テッカマンブレードのエビル(シンヤ)を思い出す
レザードとはこういう人物である。
「変態」これ以上に彼を表せる言葉があるとすれば教えて欲しい。ただの「変態」ではなく、「変態ロリコンストーカーフィギュアフェチ」で「変態で天才」と非常に危険な存在。
しかし、彼のこの性癖・知識がヴァルキリープロファイルAエンディングを目指す上で最も重要な要素。愛の為なら歴史でさえも改変してしまえる。ある意味主人公。
実際に、VPの世界において、ただ一人だけ「救済」という名の女神の支配を免れた存在であり、続編2においても、独自の思惑によって行動し、重要な役割を果たす。というかぶっちゃけラスボス。
変態に能力をもたせた結果がこれだよ!
変態にとって大事なのは、己の救済や争いのない平和なセカイではない。あくまで愛だ。愛の成就なのだ。
VP2の結末はひとつの結果。さてほむらは…
VP2では最終的にレザードは破れるが、その結果として、VP1後のはじめに女神が作った「完璧なセカイ」も否定される。そこから新しい世界が始まる。
単に女神が定めた絶対の秩序が正しかった訳ではないことは、みんなが認める事となった。そこに意味がある。
『The Destinies mend rifts in time as Man etches fate anew while another future awaits on Lenneth's wings』
「女神は歪んだ偽りの時を正し、人は新たなる運命を刻む」
どちらが、何が歪んでいるのかは、見る人によって変わるだろう。
偽りの神に逆らえ(新世界より)
「新世界より」において、神様と、人と、どちらが正しかったかは決められないように。残るのはあくまで戦いの結果だけである。
レザードは、あまりに変態過ぎたせいか、絵的に美しくなかったせいか、結果としては敗れてしまった。
しかし、ほむらとまどかの戦いは始まったばかりだ!