なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

ほむらの異常な愛情と執念、人はそれをドMという(ボツ)

あかん、ボツ。


東方で一番好きなキャラが十六夜咲夜である*1私としては、劇場版まどマギ新編で私が最も感動したのはほむらの徹底したドM性であり、まどかに対するパーフェクトな服従心だ。


真性のドMとはここまでやるものなのか、と。ほむらはここまでドMであったか、と。


ドMで有能な下僕というのは。素晴らしい。素晴らしすぎる。



ドMキャラは、無力だとつまらない。そのキャラは当然のごとくいじめられ、自らの願望が満たされて終わるだけだ。そこには、ドMキャラのカタルシスがあるだけで、読者のカタルシスがない。(ドMキャラに同化して快感を得ることは可能だが)


だが、ドMキャラが有能になると、これは面白くなる。とても面白くなるのだ。

ドMな下僕は、己より優れた存在を主として欲する。自分を下に置き、虐げてくれる存在を求める。主を心から崇拝し、己の主を誰よりも高い場所に押し上げる、それこそが己の唯一の使命と考える。 


有能であるがゆえに、彼彼女を阻むものはいない。主の行く先を遮るものはありとあらゆる手を使って排除する。それが主本人であってもだ。己を満足させない主は絶対に許さない。己自身、主のために最大限の努力や研鑽を欠かさない一方で、その主が常に高みの存在であることを求め続ける。 その過程で主の心が折れたり、肉体が滅びてしまうようでは、本当の主ではない。


この「有能な下僕」の類型の結末はだいたい決まっている。

①主の心を最大限惹きつけた状態で劇的に死ぬことで主の魂を縛りつける

②一時的に主の心を支配する。やがて成長した主に地位を逆転される。
 その際に主によって、討たれ、主の見届ける中生涯を終えるか、
 主に支配され、望んでいた服従状態を得るかは分岐する。

③有能ゆえに、主のために主にとってのすべての敵を排除し尽くす。もはや主の成長の糧となる障害は存在しない。ならば己が敵となろう、と最後の戦いを挑む。

というかこういう話が書きたいわけではなく。
そもそも、こういう「綺麗に終わった下僕」ではないところが大事なのだが
上手くまとまらぬ。




ランス6のアベルト・セフティとか
花咲ける青少年のクインザとか
ハンターハンターのシャウアプフとか。
なんとかシークレットサービスは違うかな。
さらにいうと、地位逆転を考えると、まよてんとかまよてんとか。
こういうのはBLや戦国モノではそこそこあった。というかたくさんあった。
というかBLあるいは戦国モノのお家芸という印象がある。
http://matome.naver.jp/odai/2134235849931048801

とにかく、こういうのは男がやらかしガチというイメージが自分の中にある。
だから、これを少女にやらせたというのが凄く面白かったのだという話が
したいわけだけれどうまくまとめられぬ。




あと対比としてのドMな主の話とか。
ヴァンパイア十字界のストラウスとか
戦女神の主人公とか。
黄金の王、白銀の王とか。
主君がドMな時は、何がその支えになるのかってのが
テーマになりやすいわけだけれど、そのあたりも描かれててよかったとか
そういう話がしたいのだけどまとめられぬ。



シナリオに関しては、劇場版まどかは、見事に「スターウォーズ化」「神話化」(by大塚英志)を成し遂げましたね、という感じで、めちゃくちゃうまいと思うものの、必ずしも好みではないのだけれど、魔法少女たちというキャラが、そしてそれを彩る演出が素晴らしすぎたので大満足です。私はそのあたりを具体的に語る言葉を持たないので知ったかぶりはやめて他の人に任せます。

そういや、劇場版の予告編で「黒執事」という作品の宣伝をやってましたが、あの黒執事さんはドMキャラなのでしょうか?見た感じドSキャラっぽかったので私の好みではないですが、もしあれがドMだったらとても素晴らしい。

*1:私の脳内では、二次創作でよく見るへたれなレミリアは存在しない事になっております