なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

ネット「全体」に漠然と期待して、勝手に失望してもしょうがない

期待できる部分見つけよう。できれば作ろう。そうじゃなきゃ諦めて程々に楽しもう。「全体」になんか期待してもつらいだけだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20131025190249

どこまで「自分以外の環境とか人」に期待してるのかしら無いけど、その結果として

・考えが曖昧すぎる。
・自分の欲やその背景に無自覚すぎる。
・必要であればちょっとだけ自分自身が努力するという考えが抜け落ちる。

みたいな状態になっちゃうと、マトリクスにおけるコンピューターの支配だのすばらしい新世界が訪れるのを待つしかなくなると思う。


何かを期待するならできる限り自分の欲求を整理・理解しておきたい。
それに応じた方法考えたり工夫するくらいは必要だろう。
ネットでその欲求を叶えたいなら、ネットの中で目的に合致した具体的な場を探すしかないだろう。


リアルで愚痴をいう場所や相手は選ぶでしょう?
愚痴を言うためだけにキャバクラに金払ったり、
それもできなくてカウンセラーのお世話になったりする人もいるわけでしょう?
だからこそ、言い難いことを打ち明けられる友達がありがたいって思うわけでしょう?mixi出来た時にありがてえありがてえとか言ってたわけでしょう?
いつからネットだったらどこでもツライを表出したり2軍のファンタジスタごっこしても許されるいう話になってんの。
自分が好きなこと書いてるのに、自分が望む反応が返ってくる=自分が望む反応以外が返ってこないとか思ってるならネットに期待し過ぎというか、頭の中がお花畑過ぎやしませんか。




この記事はもっと読まれるべきだと思う。タイトルの「傷つきやすさ」には賛否両論在るだろうけれど、もっと根本的な部分としての「誤解の避け難さ」についての部分は重要。
http://synodos.jp/society/5846
http://togetter.com/li/577423

「同じように痛みを抱えているからこそ、わかりあえる」のではなく「同じように痛みを抱えている(と勘違いする)からこそ、反感を抱く」関係が生じてしまうのだ

これを踏まえた上で考えて欲しいわけだけれど、
自分の内面に向かって書いて、自分の心を整理したり揺り動かすことが第一なの?
他者に何かをうったえかけて、特定の反応を得ることが目的なの?

「日記」とは自分の内面に向けて書くもので、「他者の魂を揺り動かす為に書く文章」とは違う

そう思うなら、自分の内面が、自分が言いたいことを受け取ってくれたらそでれでいいじゃない。 そうじゃなくて、人が自分の書いた記事を、他人が自分の思った通りに読んでくれることと求めるなら、読む人がそう読めるように文章を書くべきでしょう。
欲求と努力のバランスを考えないとツライことになると思う。


というわけで、最後の部分はダメダメだと思います。

他人の「日記」を読むってそういうことだよ 「書くも書かないも内心の自由」「読むも読まないも内心の自由

それを言ったら、何読んでも、どう読んでも、それを元にどう書いても書き手の自由になっちゃうんだよ。 「嫌なら読むな」「俺の嫌な反応を返すな」が言いたいなら、もっとしっかりしたロジック作りに取り組んで欲しい。 だいたい「嫌なら読むな」を主張する人はロジックが自分本位で完成度が低くしかもそのことに自覚がないので嫌い。






とりあえず、負の感情吐き出したいなら、そのための場所探すか、批判はスルーできるようにならないと。それすら面倒だというなら、我慢するしか無いよね。

とりあえずブコメにあるこういうサイト試してみては?
http://rigureto.jp/
http://www.tsp.ne.jp/~s_naoko/cgi-bin/ansq.cgi

余談として恒例の増田のススメ。
負の感情を吐き出すときに、読む人のことなんか何も考えたくないとにかく自分のことで精一杯なんだからって自分勝手な理屈を主張したいなら増田いこう。そういう人には増田はいいよ。とにかく吐き出す。 書いてる途中でリアルゲロ吐くくらいまで自分を追い込めたらそれなりの癒やしになるよ。そこまで自分を追い込めたら、周りの安っぽいDISりなんて全く気にならなくなるよ。中途半端につらいとか軽い気持ちで吐き出すから、安易に人をDISりたい人を引き寄せちゃうんだよ。相手に軽々しくDISらせないような迫力のある負の感情を吐き出してください。そういう記事を期待しております。


この本ガチおすすめ。


ちょっと前に「はてな」に期待し過ぎて、それが叶えられなかったら「はてな」全体をけなしはじめ、そこの村長にケンカ売ったりしてる内に心を病み、今も自分の傷つきやすさだけは一生懸命アピールするのに忙しい人がいるけれど、そんなことをしても一時の「勘違い共感」という名の「インスタント承認欲求」が満たされるだけで、これに依存してしまうと人生詰む危険があるので、そういう状態に陥らないようにしよう。


http://fujipon.hatenablog.com/entry/2012/11/26/172908
参考記事