なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

私の優しさに足りない要素3つ

「本当の優しさ」とか「本当の親身」みたいな山岡ごっこはするつもりないけど、私に圧倒的に足りなかったと思う3点をまとめてみる。


優しさその0 大前提として相手が受け取れなければ無意味

親身になってダメ出しなんてしてくれる人は普通いない

これはほんとに反省しないといけない。関係性の始まりの段階では、相手がどう思うかがすべてだ。自分が親身のつもりであるかどうかなど、相手にとってはどうでもいい。相手に嫌われり、恐怖を与えたりしたら、関係性自体が始まらない。
相手に合わせて表層演技くらいは出来ないとダメなのだろう。

最初は演技でも、ウソでもいいから、まず相手の信頼を獲得することが必要だった。優しさにおいて大事なのはなにより「相手」なのだから



優しさその1 相手にとって必要なものを提供する

「気持ちをわかってあげる」というようなことを言うのは、何も出来ない善人と悪魔だけだよ。本当に優しい人は、冷たい論理と数字で結果を語る。人のために一番必要なのは結局「それ」だからだ。僕は君を肯定し共感し理解するフリをたくさんしてあげたが、一度も君に「それ」はあげなかっただろう?

車を運転する時見るのは、道とメーターと状況だよ。どんな目的地であっても、見るのはそれだ。夢を見てたら居眠り運転じゃないか。 国家を居眠り運転した挙句に寝言とは… これだけ派手に事故ってもまだ目が醒めないのかね君は。

このふわふわした夢遊病者め。最後に「彼」の名誉のために伝えておこう。君が煽り耐性のなさを持って全否定した、かの首相は、君たちみたいなのしかいない国を長年治めた。ベストではなかったし、ここ最近は心が折れてしまったようだが。それでも致命的に事故らない程度にうまく運転していたのさ

必要なものを提供するために「気持ちをわかってあげる」必要はあるけれど、それを目的にはしていない、というところがミソなのかな。こちらを優先して「正確さ」が失われると結局その人のためにはならないだろう。

もしドラで有名になった「真摯さ」という言葉は原文では「integrity」である。これは「厳しさ」「誠実さ」と訳されることが多い。その場の人間関係をいっときすり減らしてでも言うべきことは言う、それが優しさの重要な要素であることは間違いない。

だからこそ、大前提として良好な人間関係を築くことが重要なのだろう。


優しさその2 信じて待つ

「あの子…最近は少し歩み寄ってくれそうな気配だったのに…」「そうは見えませんでしたが」「だって一部でも本読んでくれたじゃないですか」「…何年かけて説得するつもりだったんです?」「5年か10年…まぁ、お互い居るのが当たり前になるくらいですかね」「…気の長いことで」

「必要なものを提供・提示する」だけでなく、相手がそれを受け入れるプロセスも支援する必要がある。

自分の頭で考えない人には知識も助言も無意味

と言って安易に切り捨てるくらいなら、最初から助言しなければ良かったのだ…。

しかしここまで考えるとこちらもそれなりに手間暇書ける必要がある。リソースが必要。

その心理的余裕がある人は、本当の意味で手助けできるのかも。特に重要なのは、相手への信頼と「待つ」ことだろうか。「信じてる」といいながら我慢できない、待てないという矛盾をしょっちゅうやらかしてしまう。


優しさその3 リーダーシップ(あるいはコミットメント)

帰宅したあとで。




不完全でもいいから優しくしたい、受け取られなければ改善すればいいと開き直りたい

この3つは基本に当たるけれど、これですら完璧にこなすことが難しい。いろんな制約があって余裕が無いことが多くどうしても完全に優しく、というのは難しい。

だから、何かしら不完全な優しさになってしまう。それは相手に押し付けと受け取られてしまう事が多い。拒否されたり、そもそも伝わらなかったり、逆に嫌われたりすることも多々ある。

かといって、文句のつけようがない「完璧な優しさ」を毎回実行しようとすると、これは身動きが取れなくなる。第一それはそれで何かうそ臭い。

私は、昔はとにかく自分が「優しさ」だと思うものがことごとく否定されて、私はやさしくない人間だとか、私に、人に優しくすることははムリだとか思ってた。どうせ伝わらないんだから、と直裁的に相手の間違いを批判することが多くなってしまった。

でも、きっと世の中のみんなはは、そこでくじけずに他人に優しくし続けてきたのだろう。不完全でもなんでも、自分が優しくしたいと思ったら実行して、伝わらなかったら反省して伝え方を改める、そんな感じでちょっとずつ「優しさ上手」になっていったのだろう。あるいはそういう行為の積み重ねで「信頼」を獲得してきたのだろう。

そういう積み重ねを地道にこなしてきた人が多分「優しい人」なのだろう。「本当の優しさ」は難しいけど「優しい人」にはなろうと思えばなれる気はする。

蛇足

社会的動物である人には生まれつき「他人に優しくしたい、傷つけたくない」という気持ちがどこかにあるかもしれない。そして、自分にも相手にもそれがあるかもしれない、ということを信じることが必要かもしれない。