なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

社会人のためのダンガンロンパ

http://anond.hatelabo.jp/20130908230648

①俺も正直ネットではファック社畜ネット弁慶なんだけど、現実ではサービス残業やらされてんのよなー。それでも辞めないのは仕事においては所詮それだけの価値の人間だと思っちゃってんだろうね。自分自身


②でもそれは違う。気づいたよ。俺が耐えた不幸は俺の後を歩く人間が辿る不幸だって。俺が耐えても意味ない。誰かが断ち切らないといけないんだって

③日常の中で何かを失っていた「俺」が、ある日やって来た部下に価値観をひっくり返されて、失われていたものを取り戻す神話的構造

すごい。これ、ダンガンロンパ(社会人Ver)だよね。



理不尽な現状にとらわれた状態で心が挫けてしまい、思考が停止してしまった状態を「過剰適応」と呼ぶのであれば、この状態から「逃げる」=現状を変える、という選択肢を取るということ、少なくともその選択肢を心のなかに復活させることは非常に困難だと思う。

ダンガンロンパは「現状が嫌なら逃げればいいじゃん・変えればいいじゃん」が出来ない人に送られたエールのようなものだと受け止めているけれど、それについてちょっと考えてみようと思う。



ダンガンロンパ(特に初代)は設定の複雑さの割に、メッセージは非情にシンプルで、その分強い。その結果として、テーマは殆ど同じだが、あくまでサークルものとして消費されがちな「リトルバスターズ」より普遍性を持った寓話になっている(と思う。)

希望(あるいは思考)せよ

1 偽りの神を疑え。すべてを疑い孤立してはいけない。

  わけも分からぬ内に殺し合い(競争)ゲームを強いられ、
  そのゲームを疑わず敵同士だと思ってきた周りのみんなは友達だった。
  本当に疑うべきは、ゲームの仕組みそのものではなかっただろうか。


2 未知を恐れるな。信じられる友と一緒ならなんでもできる。

  外に飛び出すのを恐れるな。
  わかっているのは、今いるセカイに閉じこもっていることが
  間違っているということだけだ。
  外には絶望しか無いかもしれない。
  それなら自分が希望を生み出す存在になれ

希望(あるいは思考)を妨げるもの

このゲーム内ではプレイヤーに「論破」という武器が提供される。
論破とは「調べ、疑い、矛盾をつきつける」というプロセスであり、
一言で言えば「思考」だ。自分の頭で考えるということだ。

しかし、この武器ははじめ用途や方向性が制限(誘導)されている。
論破の弾丸は「裁判」という、学園が予め用意した場でしか使えない。
そして、弾丸を突きつける相手も決まっている。学園に指定された「敵」である。

論破の対象が限定されている(と思い込む)ことで、
思考の範囲も方向性も限定されてしまう。
学園長に嫌悪を抱きつつも、学園長を打倒するために思考することが出来ない。
せっかく手にした武器を、学園長に向けて打つプロセスが起動しない。


なぜか、きちんと思考をするための余裕が無いからだ。
そして、なぜ余裕が無いのか。2つ理由がある。

まず、1つめは過密なスケジュールだ。

考える時間を持つ前に次々と「裁判」を強いられる。
次々と仕掛けられるゲーム。まずそこで生き残る。
それだけで、リソースがすべて消費されてしまうからだ。
学園の定めたルールに「助けられて」ようやく生き残れる、そのくらい
過酷な状況において、本来在るべき姿をゆっくり考えられないからだ。


もう一つは、周囲を誰も信頼出来ないからだ。安心できないからだ。

見知らぬ他人に囲まれ、かつ上の人間から弱みを握られている。
他人を信用出来ない状況、疑心暗鬼になった状態では
不安から常に周りを警戒するためにさらに思考に必要なるリソースを消費する。
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar9258


この原因は「ひぐらしのなく頃に」のXYZルールのように
相互に関連し、打破が難しい。

組織における同調圧力の強さは、
1)参入・退出の自由があるかどうか?
2)外部と競争をしているかどうか?
3)目的がある組織かどうか?
で決まる。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130930/p1


こういう状況では、現状維持が精一杯になってしまう。むしろ現状が破綻すると困ってしまう。そのため、気に入らない「学園長が設定している現状」をむしろ積極的に肯定し、支えるために行動するという逆説的な状況に陥ってしまう。
*1








希望(あるいは思考)が生まれる過程

この流れを変えるには3つの条件が必要だった。

1 プレイヤー(ステークホルダー?)が自分の置かれた環境を理解し

2 ゲーム(業務)に習熟してある程度の余裕が生じ、

3 誰かがリーダーシップをとって、変わるきっかけを作り出すこと
 =アンカーとなる存在(ちひろ、さくら)が、
  その流れに身を賭してでも逆らうこと。
  逆らうことが可能であることを他のプレイヤーにも実感させること


ダンガンロンパでは、多くの犠牲を出しつつもこれを達成する。


これによって
「問題が起こらなくなり=裁判の頻度減少」
「プレイヤー間に信頼が生じる=周囲への警戒が減少」

という状況の変化がおこり
初めて、個々のプレイヤーが本格的に思考することがが可能になる。

ここから好循環が始まる。
思考することによっていろんな可能性を生み出す。
「敵同士だった者が」連帯するというということが可能になる。
そして、連帯することで、一人では立ち向かえなかったものとも
対峙することが可能になる。

ここまできて、初めて「希望」という真の弾丸が生まれる。

そして、「希望」が生まれた時には、
すでに自分が参加しているゲーム自体も大きく姿を変えている。
もはやかつて敵だと思っていた存在は仲間であり
戦うべきは、ゲームそれ自体、あるいはゲームを強制していた存在なのだ。



希望の最後の壁 =未来の保証がなくても自分と仲間を信じられますか?

友達の絆の構築というテーマを誠実に展開すると、リーダーシップの話になる

もちろん、学園長を倒せば終わる、というほど現実は楽ではない。
歪んでいても、今までずっとそのゲームの中で生きてきた人間は、
ゲームを辞める後、次にどう生きるかを決定しなくてはいけない。

当然ゲームを仕掛けた側は
「このゲームをやめたあとどうするのか」
「このゲームをやめるなら、お前たちの今後は保証できない」
「お前たちに他に行きていける場所はない」「今ならばまだ許してやる」
と、こちらの不安を煽り、懐柔しようとする。
今までと変わらない現実を続けることを要求する。


ここで、今まで参加していたゲームを壊し、あるいは拒否して
新しいセカイに飛び出してこれから生きて行くことができるのか。
何か道標に、自信になるようなものはないのか。



ある。少なくともプレイヤーは2つ、希望を支える力を手にしている。



それは、ゲームの中で手にいれた武器である
「自ら考える力」と、ゲームを共にした、心から信頼出来る友人である。
もうプレイヤーは絶望して閉じこもったりする必要はない。これからは自らの思うがままに力を合わせて生きるのだ。




・・・途中まで書いてて、間違いに気がついた。「学園」の話じゃなくて、「社会人」の話を書くつもりだったのにどうしてこうなった。

*1:PSYCHO-PASSの話もしたいけど話がこんがらがるのでスルーします