ともあれ互助会は滅びるべきである

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学校教育そのものが子供にとっての暴力

※この記事は中二病成分が高いです。あとフィクションです。


私は小学校の頃、自分の意に沿わぬことを押し付けられるとそれ自体が暴力であると感じる時期があった。

実際、選択肢を提示されるならともかく、特定の行為を強制され、それを拒否されることが許されない状況、従わなければ罰を受けるという状況に押し込められるのはれっきとした暴力である。実際に暴力が物理的に行使されなくても、物理的暴力を背景にして相手に意に沿わぬことは暴力ではないのだろうかと今でも思う。


もちろん上下関係や秩序みたいなものが必要だということは理解してたし、「暴力装置」は必要不可欠であると納得はしていた。でもあくまで暴力や、それを背景にした権力によって、意に沿わぬことをさせられることは時によって仕方ない、という消極的受容だった。

だから、必ずしも相手が正しいと思って従っているわけではなかった。

ところが、教師や親は自分たちが普段そういう暴力や権力によって
子供にいうことを聞かせているのだということを時々忘れる。
あまりに無神経だと、「私のいってることが正しいから子供もいうことを聞くのだ」
「子や生徒がいうことを聞くのは、私が正しいからだ」と誤解するようになる。


こうなると、自分が正しいという前提でクソみたいな正論を吐くようになる。


何も言われなければ従えることでも、
理屈を述べられて、その理屈が納得行かないものであるのに従えと言われると
とたんに嫌な気分になる。

命令に従え、だけなら何も考えなければ従える。それがルールだ。秩序だ。
「おまえの価値観なんてどうでもいい、俺の価値観も問題じゃない、
 正しさが問題じゃなくて、オマエは俺に従うのがルールだ」と言われれば
喜んでしたがう。


ただ「命令に従うことによって、親が教師の理屈も正しいと認めろ」
と言われると途端に吐き気がする。

こっちとしては
「オマエの理屈正しくなくてもオマエの方がエライから従ってやんよ」と思ってるのに
「俺はエライだけじゃなくて正しいのだ。オマエは間違ってるんだ」と
価値判断の基準まで干渉してくる。

そして実際黙って従っていたら、
相手は私がその価値判断にまで同意したとみなしてしまう。
そして、強制力がない状況になった時に、自分の価値観でそれを拒否すると
「前は同意したじゃないか」「オマエは嘘つきだ、一貫性がない」と言って責めてくる。


こっちとしては
「冗談じゃない」「オマエの価値観になどこれっぽっちも同意していない」
「もしそれで価値観にまで同意したとみなされるなら、
 次からは理屈を述べられた時、理屈は否定しなければいけない」
と考える、そして実際に反発する。


すると学校では「こいつは反逆的なやつだ」「秩序を乱す、みんなの敵だ」とみなされる。
教師がみんなの前で私を晒しあげ、
教師にあおられたみんなは、公認された敵として私への制裁を始める。
途中からは教師ではなく女子生徒が私の落ち度を逐一監視して終わりの回で吊し上げるようになった。
私が恐れていた暴力が発動してしまう。


家では「お前には罰を与える。今日一日物置小屋に入っていなさい」
「じゃあ家から出て行け」「誰がご飯を食わせてやっていると思ってるんだ」
「お前のいうことは社会では通用しない」
私が恐れていた暴力が発動してしまう。



どうしてこうなるのか。
私は、秩序に逆らうつもりなどまったく無いのだ。
意見に同意できなくたって、命令には従うつもりなのだ。
ただ、教師の理屈や価値観に同意できない、と言いたいだけなのに。
自分の価値観を大事にしたいだけなのに。自分は自分だと言いたいだけなのに。

私は暴力の発動するトリガーを勘違いしているのか?
学校では、自分というものを持ってはいけないのか?
親の前では自分の意見を押し殺さなければいけないのか?

どうすれば、暴力を受けずに自分の価値観を表明することができるのか?
それは不可能なのか? 学校とか親って一体なんなんだ。




みたいなことを小学校・中学校時代に考えたことありませんか?*1

*1:実際は、自分が自己表現が死ぬほどヘタで自閉的で他人と合わせるのが致命的に下手くそな子供ってオチだし、子どもや小学校の教師に、一人ひとりの価値観を尊重するなんて概念が理解できるわけないってだけの話なんですけどね。あと文中でも書いたけどこの「暴力」が必ずしも悪いとは思ってません。そういうわけなんでとりあえず「個性重視」教育とか、小学校でやったってムダだと思います