体罰以外の選択肢をもたない人たち
http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2013/09/19/014718
うまくいけばパフォーマンスを向上させられるけども属人性に寄る部分がでかすぎるのでいちいちチェックはしてられないのが現実なのでじゃあもう一律禁止にしましょうかみたいな方向がベストなんじゃねぇのかなと言うのが本音です。例えばなんだか劇的に厳しくなった事例で言えば飲酒運転なんかが思い出されます。ちょっとやそっと酒飲んだってへっちゃらに運転できる人なんて現在でもなんぼでもいるんだろうなというのが僕の感覚値ですが、そのノリに乗っかって他人様の人生を台無しにしてる飲酒運転をうまく出来なかった人が枚挙に暇がないというのが僕や貴方と飲酒運転が洒落にならないほど重罪になった現状との馴れ初めなのではないかと思うのです。体罰もそういうノリになってくれるほかねぇよな
読みました。
まず体罰以外の「可能な」選択肢をもっているか?
さて、体罰を支持する人たちの主張をいくつか読んでみると、たいてい体罰以外の選択肢を知らないか、知ってても自分たちには無理だと思っているという印象を受けることが多いです。
<教育現場はこんなに大変なんだ→○○→だから体罰だ>
<全国大会を目指すのは大変なんだ→○○→だから体罰だ>
という感じで、彼らの中では「大変だ」「難しい」と体罰が直結しており、
「殴らない結果秩序崩壊・成果が出ない」か
「殴るる結果、秩序維持・成果が出る」の二択で考えてる人がほとんどです。
体罰肯定派の人の理論で、これの例外をみたことはほとんどありません。
本来あるべき「選択肢の検討」という過程がすっ飛んでいます。
洗脳以前の問題です、他の選択肢がないのです。
だから「お前ら洗脳されてる」じゃなくて
・体罰以外の選択肢を知っていますか?例えば○○は
・○○と体罰による指導だったらどっちのほうがいいですか?
・○○は自分たちに無理だと思うのは何故ですか?
みたいに言ったほうが良いと思います。
知っているだけでは不十分です。
知っていて、かつ自分たちにも可能である、と思わせなければいけません。
実際、今回の件についてのコメント
熱心な監督であそこまでやってくれる
むっちゃ人間的に好きなのに
あそこまで熱い指導をするのは生徒のことを考えているから
人間性と手段の区別がついていない、むしろ
人間性を信頼するがゆえに手段については盲目になっていたり
山内先生までいなくなったら、日体自体が終わっちゃう
しっかりした人だし理由なしでこーゆことする人じゃないから!
そんなわーわー騒ぐもんぢゃねーら
山内先生は運が悪かっただけ
私が現役の時からあんな感じだし、何を今さら?
昔は殴られて当たり前でした。そういった環境で頑張ってきた人達の気持ちも配慮してほしい
こんなのまだまだ軽い方だね
浜松日体の体育教師は皆こんなもん
感情が入っちゃえばだれでもあぁなる
春高バレーでれなかったらそっちのが3年生泣くと思う
黒字のあたりのコメントは
「他の選択肢は一切考慮に入れていない」というのがわかります。
このあたりも問題だけれど、一番問題なのは
桑田さんが言っているような夢みたいなコーチングは、名門校の意識の高い生徒相手以外に通用すると思えん。
他の選択肢を知ってても「自分たちには関係ない」と思っていたら意味が無いということです。
「閉鎖空間」における生存戦略=自己啓発という名の過剰適応
体罰に限った話ではなく、
宗教だろうがブラック企業だろうが競争社会だろうが
オタクサークルだろうが、友達地獄だろうが、
絶対の教義のもと「代替の選択肢が存在しない」空間に閉じ込められた人は
・適応するか
・潰されるまで我慢するか
・逃げる(=新しい選択肢を発見する)か
くらいしか選べません。
適応を選んだ人は自分で自分を環境に適応できるように作り変えます。
教師に洗脳されるというより、自分で自分を洗脳するのです。
自己洗脳はだいたい「組織の肯定」「仲間のため」「自己高揚」の三本柱から成り立ちます。
・「先生はすばらしいお方」「こうしなければ強くならない」
・「仲間のために自分は我慢しなければ」
・「ついていけている俺格好いい」「耐えられないやつはクズ」
これは生存のために必要な行為なので、責めるべきではありません。
外からできるのは、新しい「逃げ道」を示すことしかできません。
ヘタにその場を壊そうとすると、
適応しきった人は、その場ごと壊れてしまうケースが有ります。
ただし、すでにその「場」から去ったはずのOBが
この「場」を補強しようとするのはちょっと行きすぎなので、
OBは遠慮なく批判しても良いと思います。
代替の選択肢はもちろん慎重に検討されるべき
こういう状況に追い込まれているとき、
大阪の橋下市長のように「新しい選択肢を示す」存在が神々しく見えることがあります。
他にも「とりあえず現状に文句言う人」が格好良く見えることが有ります。
そうやって考えなしに受け入れるのは、それはそれで危険です。
新しい選択肢は新しい選択肢でしっかり検討される必要があります。
そして、提示する側も、相手が受け入れられるように工夫をすべきでしょう。
過剰適応している人の考えを改めさせるのは簡単なことではない
私は以前、ブラック企業に過剰適応して、
生活保護者などに対するヘイト発言をタレ流ししている人の行為や考えを
改めさせようとしたことがあります。
しかし、接し方を間違ってしまい、
その人をより頑なにさせる結果になってしまいました。
別の記事で書く予定ですが、
「教育」というか「相手の現在の考えを否定し、改めようとする」
こと自体、体罰と言えなくもないんですよね…。
その人は結局、過労や職場での軋轢から心を病んで退職し、
今は復職のめどもなくニート生活を送っているようです。心配です。
どんな組織でも、過剰適応出来る人はまだよいでしょう。
悲劇なのは、適応しようとして出来なかったときです。
こういう人たちを見かけた時にどうすればいいかはまだ自分でも答えが出ていません