なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

放浪息子

「あんたたち いじけたコになっちゃダメよ?
あたしは あんたたちみたいな子が だいすき!」

全てがすっきりする形で終わったわけではないけれど
それが、物語がこの後も続いていくのかな、と感じられて良い。

少なくとも、それぞれの登場人物が
自らにおこる変化にどう向き合っていくかについて
自分なりに答えをだしている。
まだまだかな、と思う人も、ひとりきりで悩んでる人はいない。
こいつらなら大丈夫だよな、と安心させてくれる感じ。

とりあえずメモ。


最終巻の展開ははらはらさせられた。
杏奈が「読んでたら シュウがもうすぐ死んじゃうみたいな気がしたの 死んじゃやだ」って泣きながら修一に語るシーンは、自分もちょっと涙が出てしまった。 物理的ではないにせよ、その人の本質が死んでいくような感じ。 

もちろん人は変わり続ける。変わること自体が悪いわけでもないし、いざ変わってしまえば「そんな時もあったなぁ」と振り返って笑えることが多い。「本当の自分」だの「私のほんとう」なんてのは無いはず。 

それでも、「今ここにいる自分」がボロボロになっていって、永遠に失われてしまう感覚は怖い。今と違った自分で生きていくなんて想像出来ない、それは自分に似た何かであって、自分ではない。そんな「何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安である」の感覚は恐ろしい。 困難にあっても自分というものにこだわり続けた人ほどそういう気持ちは強いだろう。

こうした不安をどうやって乗り越えるか。

「その時の自分を知って、認めてくれる人がいること」かもしれないし、
「自分が変わっていっても受け入れてくれる人がいること」かもしれないし、
「その時の自分を、確かな形で留めておくこと」かもしれない。

それぞれの人が、
どんなきっかけがあって、誰の助けがあって、自分の感じてる不安を乗り越えることができるかなんて、その時にならないと解らないし、その時になったって決まった答えはない。

この作品ではシュウちゃんが、高槻くんが
さんざん悩みまくっているわけだけれど、
失敗しまくったり、問題も沢山起きたけれど、
それぞれの登場人物がそれぞれの答えを出している姿を見ていると
「ま、どうにかなるんじゃないの?」「なるようにしかならない」
って感じで、少し気分が楽天的になれる。





あと、これ性別の話ではあるけれども関係性は「CARNIVAL」の学くんと理沙ちゃんと似てるように感じた。

学くんは世界から愛されていないと感じつつも世界を愛し続ける。世界の側が正しくて、自分が間違っていると思い続ける。その孤独な感覚を、理紗という学の世界を感じ取り、寄り添おうとする存在にさえほとんどうちあけることがない。結局最後まで抱え続け、あの世まで持って行ってしまう。

この学くんとちがって、修一くんはには姉がいたし、母親を殺さなかったし、高槻くんも、ユキさんも、さおりんも、マコちゃんもいた。まさかあの土居がこんなに近い存在になるとは思ってなかった。 そしてなによりも、杏奈がいた。母親との最後の会話は、学くんのことを思って涙が出そうになった。修一くんはいびつではあるかもしれないけれど、幸せものだな。もちろん、修一くんが諦めずに、頑固に自分を貫いたからでもあるけれど。

物語の人物に対して、この子達、幸せになってほしいとか思っちゃってる自分がいて困る。




放浪息子の中で一番感情移入してたのは似鳥くんとか高槻さんではなく、似鳥母であるさとみさんとか、千葉ちゃんだったりする。 それでも最後はちょっと修一くん(というか杏奈さん)に持って行かれた。

AURAとか灼熱の小早川さんは、上手いと思いながらもどうしても好きになれなかった(感情移入できるキャラ皆無だった)けど、放浪息子は逆にどこがすごいとかわからんけど、とにかく好きすぎてやばい。


Amazonレビューの

この物語を追ってきた人達は
日常が小さな挫折の積み重ねで出来ている事を知っている人達だと思います。
だからこそ、修一が自分の感情と折り合いを付けると言う「小さな奇跡」に対し
少しの安堵感と、希望を得る事が出来る

という表現がとても良いな、と思った。




追記
なんか、私の杏奈の台詞の解釈が間違ってるかもしれない・・・。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20130902/1378051706

「シュウがもうすぐ死んじゃう」というのは、作品の疎外そのものである。小説は修一に対立し、支配せんばかりの自立をとげている。しかし、それは作品として成功しているということでもある。

疎外を味わうことは、文章を書く人間にとって、決して嫌なことではない。そして自分に対立してくるものが描けなくてはおよそ成功しているとは言えない。