なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

「風立ちぬ」

http://johnetsu.hatenablog.jp/entry/2013/09/12/204821

消費者の欲望に忠実たる商品は、彼にとってほとんどポルノグラフィー同然であり、それを嬉々として使う消費者はオナニーにふける猿と同然に見えた。
だからこそ宮崎駿は、消費社会から目を背け、自然あふれる美しいファンタジーを描くわけですが、そうは言ってもお前がつくってるのは消費社会の最前線で消費されるアニメじゃねえか。

風立ちぬ」を見て思い出したのは「母なる夜」だった。
自分の中ではベスト5に入るくらい印象が強い作品。
人間が生きていくために必要な物を
主人公が読者の目の前で一枚一枚丁寧に剥ぎとっていくような話。
初めて読んだときは、胸が苦しくて眠れなかった。


自分のことを誰にも理解されず、
自分でも自分のことがわからず、
世界にはもう自分をつなぎとめておくものがない。
それでも、生きていけるのか、と。


「母なる夜」の主人公は自殺した。
最後に自分を託すものが自分の死しかなかった。

「CARNIVAL」の主人公は、世界の美しさを感じつつも自殺した。
世界を肯定することはできても、自分が世界に生まれたことは肯定できても、
すべてが擦り切れた後に自分を生かすものは残っていなかった。
http://possession.hatenablog.com/entry/2013/09/07/145023

そして、これらの作品に納得するしか無い自分がいた。

だが、風立ちぬの主人公は「生きねば。」と言った。なぜ宮崎駿は主人公にこのセリフを言わせることができたんだろう、ということは時々考えていた。

当初はもう1つのエンディング案があったそうです。当初の案では、なんと二郎は菜穂子とともに死んでいる。宮崎駿は悩みに悩んだ結果、「二郎を生かす」という選択をした。いま子どもに向けて伝えるならば、そのエンディングを描くべきだと思い、描ききったからこそ引退した

俺は思うんですけどね、この人、最後の最後に大ウソついたんだと思う。「この世界は生きるに値する」って「この世界」を描いちゃうわけでしょ。俺、こんなの大ウソだと思うんだよね。「どんなにつらくても、最後にワインを持って待っててくれる人がいる」なんて、真っ赤なウソかもしれない。この世界は、それはそれはひっでえもんかもしれない。それでも「この世界は生きるに値するんだ!」って子どもに向かって強弁するのは、体を張って全力で素敵なウソをつくのは、大人が背負ってやるべき使命でしょう。

宮崎駿は最後、わざわざウソをつきに、芸術家として失格するために戻ってきた。芸術家としては失格かもしれないけど、ひとりの大人として、果たすべき責任を最後に果たした。「この世界で君は生きていてもいいんだ!」って、一世一代の大ウソついて、ウソをついてしまった以上は芸術家失格だ、あとは子どもたちに任せるって、格好よすぎるでしょう。宮崎駿は大人になれたんだと思った。こんなのやられたらさあ、憧れるしかないんだよなあ…。

これが答えになるかどうかは人それぞれだと思うけれど、
私はとても納得できると思った。
この記事を書いてくれた人、ありがとう。

母なる夜あらすじ

http://iron24.blog17.fc2.com/blog-entry-94.html

http://chiyorogi.blog.so-net.ne.jp/2007-10-21

 どちらかの方向へ動くという理由がわたしに完全に欠如していたという事実のために、わたしは動けなくなった。この長い無意味な死んだ年月のあいだわたしを動かしていたのは好奇心だった。今はそれさえも燃えつきた。

http://maturiyaitto.blog90.fc2.com/blog-entry-404.html

われわれが演じているものこそ、われわれにほかならない。だから何かを演じる時は、よほど注意しないといけない。

この話からもうひとつ、明快な教訓を得るとすればこうなる――死ぬときは死ぬ。

そしてまだ、思いつくとすればこうだ――出来るときに愛すること。それが何より。