なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

ガッチャマンクラウズとランス6

ガッチャマンクラウズ見てると「ランス6」思い出す。
「ランス6」は、今から考えると一度累くんがイメージした革命が成功した後の世界のようなものかも。


 この作品の世界は常に魔物という世界の外部から押し寄せてくる脅威を「壁」が守っている。「壁」を維持する限りにおいて世界の平和は守られる。そして世界に住む人達は「魔法使い」と「平民」にわかれている。能力の在る魔法使いが「壁」を維持し、平民はそれによって世界の脅威から守られる。


 さて、最初は魔法使いたちは「ノブリス・オブリージュ」を持っていたのかもしれない。力あるものの義務として、平民を守ろうとし、平民はそれに感謝して魔法使いたちに仕える、そんな感じの世界。ま、封建制でも会社でも、理屈で言えばほとんどの共同体はこういう成り立ちですね。


 ところが、こういう時代が長く続き、「魔物」の脅威の記憶が薄れてくると、残るのは世界にいる人間だけになる。対抗すべき敵はいなくなり、階級差と、特権意識だけが残る。
 戦うべき存在がいない「魔法使い」たちは暇を持て余し、特権意識と能力差ゆえに「平民」を人として扱わず家畜のように虐げるようになる。『新世界より』の能力者の横暴ぶりとかは、かなりひどかったですね。
 で、「平民」たちはそんな理不尽な扱いに不満を募らせ、「魔法使い」たちを恨み、世界の成り立ちを覆そうとする、転覆をはかる。本当の脅威である「魔物」の存在をすっかり忘れて。*1



 「ランス6」の場合は、最終的に「壁」が崩されて、魔物の侵入を許してしまう。「魔法使い」と「平民」が区別なく魔物たちに襲われるなか、それでも争いをなかなかやめられない両者。魔物の脅威以上に同じ人間が許せない、ということはあるのだ。
 ところで、この争いにおいて犠牲になったのは「魔法使い」「平民」それぞれのグループの弱者であった。「魔法使い」が強者で、「平民」が弱者という分類では説明がつかない。実際は「魔法使い」の中にも弱者がいて、「平民」の中にも強者がいた。
 特に「魔法使い」の弱者の中には、平民のことを大事にする人もいたし、平民のために魔物と戦おうとする志のいる人もいた。しかしそういう最も貴重な人材が「魔物対人類」「魔法使い対平民」の争いの中で真っ先に死んでいった。守るべき「平民」たちから襲われ、生命を奪われたものも多かった。


 結局、人類は壁の崩壊の後、魔物の侵入を食い止めることが出来ず、絶滅の危機を迎えることになる。



 この作品では、残った人類が最後の力を振り絞って魔物と戦っている間に、主人公(ヒーロー)の活躍により一発逆転が成し遂げられるのだが、さて、クラウズではどうなるか。

・人類たちが結集する展開

ガッチャマンたちの活躍

・「マジノライン」的な解決策の可能性
 (魔物をすべて倒せるわけではないが、一定ラインまで後退させる仕掛け)

なんかは見られるのだろうか。

*1:今我々がすむ世界がそうなっていないのは、いつだって世界には「脅威」が存在するからで、そういう悩みから開放されたら、こういう闘争は起こりうるだろうと思う