なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

わたモテのもこっちを笑っているのは誰?

http://blog.livedoor.jp/robosoku/archives/32698287.html

ギャグやそれに準じた主旨で「恥をかく」展開が笑えないレベルで苦手。

・わたモテ
・「きんモザ」であやがカレンの真似して授業中に無理やりカレンの真似するとこ

ああいうのやめてほしいんだけど俺だけか

やべえ、この感覚が全くわからん。 
わたしが聞いていたたまれなくなって飛ばすのは「恋愛ラボ」のOPくらいです。
二軍のファンタジスタは平気だったけどこれは無理。アニメ面白いのに―



「あちゃー」って思うし、胸は痛いとかつらいと思うことは在る。で、ここで「だから見てられない」って思うかというと私は全く思わなかった。 この人達は俺ガイルとかもダメなんだろうか。



それってどういう視点で見てるんだろう。なんか「深く感情移入してるから」って言ってるけど彼らはどこに感情移入してるんだろう。本人に感情移入してたら「見てられないから離脱」という感覚がそもそも出てこないのでは…。本人の周りにいる「観客的ポジション」に感情移入している? なんか高度なテクニックだなそれ。ちょっと気になる。


でもたしかに、本人にカメラ寄せまくりの漫画版よりは、アニメのほうが、「見ていてツライ度」が上がってる感じはある。 漫画のほうだときんモザはもちろんのこと、わたモテですら、周りのことなど全然気にならなかったので、「笑われている」という感覚自体なかった。漫画だと、もこっちと、見てる私以外他の存在は無いのと同じで(私の想像力が足りないと言われたらそれまでだけど)、そしてもこっちは自分を笑うつもりもないし、私ももこっちを笑う気がないので、どこにも「笑う存在」が存在しない。 そもそもギャグなのかこれは、という感じ。きんモザについても、別にあれギャグだとか、彼女らを笑いものにするものだという感覚が全然なかった。


ただ、アニメで見ても、別にそういう場の空気じゃないよな、と思うので「笑いものにされる」という感覚がどこから生じているのか不明。 ニコニコとかで見てると感覚かわるのだろうかな。 どうしてもそういう「空気の存在」を気にしちゃうんですかね。 周りのみんなと同じ反応しなきゃ、みたいな。そういうのが気になるならコメントオフで見たほうがいいと思うけど(このあたり私の妄想です)


私が見ててツライなと思うのは、「作中で」、登場人物と周囲に明確に空気の差があって、「作中で」人物が笑いものにされたり、ドン引きされたりが描かれている場合。 今「放浪息子」8巻読んでて、登校拒否のシーンだけどこれは結構キツい。 それでも読むのやめようとは思わないけども。*1


なんか見ている人の中に「正しさ」「こうあるべき」観が強固にビルトインされていて、こういうシーンを観ると「逸脱したら笑われても仕方ない」「絶対笑いものにされなければならない」みたいな恐怖めいた規範性が呼び起こされて自分を締め付ける、みたいな感覚なのかな。それはつらそうだな―。


私はアニメ見る時極端に視野が狭くなっていて、お気に入りのキャラの心情にフォーカスしちゃうので、あまり気にならないのかな。逆に、アニメのキャラが、自意識過剰の反対に周囲を気にし過ぎるキャラで、一つ一つ周囲の反応を受け取って傷つくキャラだと、見ていてツライかもしれない。


アニメくらい、周囲のみんなが主人公たちに優しい空間を期待したってええやん。 変なことしてもいちいち叩かれないくらいの安心感のある空気を求めて何が悪いんや。 アニメでも現実の空気を呼び込んで「リアルなら死んでた」とかいうなら、アニメみるのやめてリアルで生きようぜ。

*1:そういえば青い人は、「わたモテ」も「俺ガイル」もすごい嫌ってて、どちらもすごい見当違いなレビュー書いてたけど、もうちょっと詳しく説明してもらいたいかもしれない。