なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

バカッター1

人類総デスノート時代あるいは
心理的距離が離れすぎて、人を人と思えなくなった何者かの群れによる蝕


http://togetter.com/li/558574

反道徳なのではなく、メディアリテラシーが低くて自分のバカげた行為をSNSで拡散してしまっただけ。つまり批判されるべきは「反道徳」ではなく「低メディアリテラシー」ということですよ。低メディアリテラシーは、仕事を棒に振るほどの悪行なのか?という問題。他者に苛烈な道徳を求める人がたいへん多い事実にけっこう痺れる……。互いに苛烈な道徳を求め合う社会に未来はない

「苛烈な道徳」ってのがキーワードになってるけれど、私は違うと思ってます。*1

私は、炎上に参加している人の多くは、この手の騒動を<「弱み」「スキ」を見せた者を一方的に攻撃して楽しむ、ゲームのような物>だととらえているように感じます。ゲームへの参加者は、別に自分を倫理的な人間だとは思ってないでしょう。ただ憂さ晴らしに、誰かをいじめるという行為を共有して連帯感を得る、安全なゲームを楽しんでいるだけなんじゃないでしょうか。

佐々木俊尚さんに絡んでいるような、「これは倫理観的に許されないから叩く」とか言ってる人は、後からやってきてるんじゃないかな、と。



ゆえに道徳よりタチが悪い。たとえば

モラルに欠ける行為は許さないと言いながら罵倒する。140文字以内で自己矛盾起こせる人ってすごい。

この手の発言は皮肉としても通用しないでしょう。この手の道徳は、お互いが社会を共有する人間同士であるという前提があるわけですが、ゲームを楽しんでいる人は、最初から彼らを自分と同じ人間だと思って尊重する気持ちなどみじんも持ち合わせていないはず。自分の身の回りの人間以外が、同じ人間であると実感を持って居ないかもしれない。だから恐ろしい。



ただ、逆に言えば、そんなに深く考えていないでしょうから、対処のしようはある物だと感じています。自分の思い込みで倫理面の問題として嘆いてみせるのではなく、ちゃんと炎上において叩いている側や、いじめを行っている人について追求して欲しいとおもいます。ジャーナリストとして


バカッター問題はネット炎上の一部にすぎない

今のところ、バカッター問題に於いては小田島隆さんの記事が一つ頭抜けている状態。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130822/252525/

インターネットの普及で、最も大きな恩恵を受けたのは、クレーマーとカルトと変態だと思う。いや、悪口を言っているのではない。 私は、インターネットが本来連帯できない人々のために足場を提供したということを言おうとしている。

21世紀のクレーマーは、あたらしいステージに突入したわけなのである。クレーマーが力を得たということは、企業や公共機関や学校が、軒並み萎縮しつつあるということでもある。

これをより簡潔にまとめてくれているのが以下のコメント

raf00 「バカがTwitterを手にしてしまったこと」よりも「他者に苛烈な道徳を求める人が、ターゲットを探し拡散し糾弾するツールを手にしてしまったこと」の方が強く影響してる


「ネット炎上」を理解するには、炎上の場で展開されている力学、行われているゲームのルールを理解しなければならない、みたいなことを荻上チキさんが書いてた。

http://www.mammo.tv/interview/archives/no239.html

コミュニケーション能力やリテラシーの高さとモラル・倫理の保持が混同されています。
倫理観やリテラシーが高い個人であるよりも、匿名で付和雷同し、叩かれている人を叩いておけば、勝つことはなくても負けることはない。そういう状況を楽しむ場に自分を置くことがリテラシーをめぐるゲームにおいて勝利を収める上で、もっとも手っ取り早い合理的な方法になっています。

MK2さんの「うちらの世界」は、この流れよりさらに大きい動きについて論じている。ただ、ちょっと射程が広すぎる。時間軸的にも、扱う範囲としても、バカッターに留まる話ではない。 この問題ピンポイントで考えようとするとちょっと照準がぼやけている印象。 その結果として、低学歴高学歴問題というすげえどうでもいいところに話を持って行かれたのが残念。




メディア空間の変質と、人の道徳心、どっちが大きな問題なのか

・「厳しすぎる社会」は「だれも責任をとらない社会」
http://t.co/45oOPfwuYz

・「人間とはそもそもそんなに道徳的であることはできないよね」というそもそも論へ論点がぶっとんだまとめ
http://togetter.com/li/558574

あのぐらいの行動は大人への通過儀礼の変形みたいなもので、多かれ少なかれだれだってやってるようなレベルの話だと思いますよ。「コンビニ冷蔵庫に入る」という行為そのものには何の意味も無い。低学歴とか思考力欠如とか関係ない。昔、尾崎豊が窓ガラス割ったのと同じ。ただ昔と異なるのは、それがネットで拡散されてしまうというメディア空間の変化で、これは誰にでも振りかぶる問題ですよ。そりゃ自分が購入するアイスの冷蔵庫にバイトが寝てたのを知れば不快だけど、そんなの前からいっぱい行われていて、われわれはそういう事実を知らなかっただけでは?だから問題は、そういう行為が可視化されてしまうメディア空間にある

反道徳なのではなく、メディアリテラシーが低くて自分のバカげた行為をSNSで拡散してしまっただけ。つまり批判されるべきは「反道徳」ではなく「低メディアリテラシー」ということですよ。低メディアリテラシーは、仕事を棒に振るほどの悪行なのか?という問題。

佐々木俊尚さんは、メディア空間の変質まで指摘しておきながら、結局道徳の問題に持って行こうとしていることに違和感を感じます。



「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」というなら沈黙せよ

余談ですが、studygiftの時から佐々木俊尚さんは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」論理を持ち出していますが私はこのこの理屈を人がつかってはいけないと思います。
 
これはイエス様以外が使えないロジックですやーん!
原罪をもつ人間に、人を批判する資格はないという話ですやーん!
これを持ち出すなら、その時点で沈黙以外の選択肢は無いはずですやーん!
それでも誰かを批判すると言うことは、つまりこう言ってるのと同じですやーん!


「僕がやってるのはまっとうな批判です。なぜなら相手が間違っているからです。
 でも、彼らがやってるのは過剰であり、間違っています。だから僕はそれを批判してもいい」

道徳や過剰な倫理を持って人を叩くのを戒めながら、
より上位の「道徳」を持って、自分と意見の違う物をたたきのめそうという考え。
...それってミーと同じで批判大好きってことですやーん!
そういう自分に都合の良い切り分けを温存している限りに於いて、佐々木さんはこの問題を論じるのに向いてないと思う。なぜなら、これはバカッターを叩いている人の論理そのものだから。



「ネット炎上」や「いじめ」に共通して私が感じたもの

罪を犯していないことを証明するために』石を投げる人がでてきそう

道徳というのが人が社会で生きる為に必要なものだという認識そのものが通用しなくなってきている気がします。

今回バカッター叩きで展開されているのは,誰かを叩くことで、自分は正しいと確信したい、優越感を感じたい。そういうゲーム。ゲームで負ければ自分が叩かれる。周りのみんなのエサになる。道徳や倫理観など、もはや「ゲームで勝つための道具のための1つ」でしかない。いじめもネットによる叩きも、こういう感覚でおこなわれており、そこには善悪の判断すら無いんじゃないかと思います。


http://alfalfalfa.com/archives/6770603.html

「いじめを無くそう」っつったって、いじめはなくならない。
なぜなら、いじめてる人は、自分の行為をいじめと思ってないから。
自分を擁護するわけじゃないが、俺は、道徳の授業のいじめの話の時、
怒りに震えて、「こんなかわいそうな話はない!俺がいたら絶対声を上げていたはず!」
とか、マジで思ってた。で、そんなこと思いながら、いじめをしてた。

ネット炎上は,一種の「現象」であり、その空間に巻き込まれた人を狂わせるものかなと思ってます。日本の戦時下体制の嫌な空気がその都度発生して消えるようなものでしょうか。この「現象」をこそ分析すべきであり、その時巻き込まれた人の心性を叩いても多分解決しない。「バカッターなら死んでた」空間を発生させないようにするためには、どうすればいいかを考えるとよさげ。

*1:過剰な正しさ、過剰な善意、過剰な道徳心みたいなのは「ワタミ」みたいな事例をいうと思っており、これは法律で規制するくらいしか本当に手がつけようがないと思ってます