なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

「うちらの世界」と山本直樹

「閉鎖された環境のなかで観念だけがどんどん地面から浮き上がってきて、ついには暴走する。そういった怖さみたいなの」

「うちらの世界」を外部からのコントロールを失い先鋭化する組織、程度に捉えると、今に限った話ではなくほんとにどこにでも起こりうる病だなとは思う。


結局、彼らには客観情勢が見えていなかった。自分たちが頑張れば大衆は蜂起すると信じ込んで山岳アジトで銃撃訓練に励んだんです。組織の内部では『銃と人を結合した共産主義化』というわけのわからぬ言葉が一人歩きして生身の肉体が軽くなり、人の死も軽くなった。閉ざされた集団のなかで言葉(観念)だけが凝縮され、暴走してしまった

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36767

犯人の若者は人の命よりも掲示板で叩かれたりすることのほうが大事な問題になってしまったんじゃないでしょうか。殺したいと思うことと実際に殺すことの間にはものすごく距離がありますよね。でも彼は肉体を忘れて、その距離を飛び越えちゃった

閉ざされた言語空間を常に開いていくことが大事だと思います。それは、自分が必ずしも正しいとは限らないと理解することに通じる。

http://happism.cyzowoman.com/2012/10/post_1355.html

同年代の人たちが、あの地下鉄サリン事件を起こしたと知った時「これはすごいなあ」と思いましたね。カルト的なものはそれ以前からたくさん跋扈していたけれど、「これじゃあフィクションはなかなか勝てないなあ」なんて思いながら見ていましたね。宗教に限らず、教室のいじめだって、ママさんの公園デビューだって、相撲部屋のかわいがりだって閉鎖された社会。もちろん、連合赤軍もそう

禁止されたものを破るのは楽しいでしょう? 『ビリーバーズ』も、無人島という密室で、禁忌を破るセックスを描いたら気持ちよさそうだと思ったんです

バカッターの人々も、あれ仕事場が密室だからこそ起こるような感じはある。


日常って、わりと飛び飛びなんですよ。野球のルールで言うと、塁上に留まっているうちは、アウトにならないから安全でしょう。でも、次のベースまで行くにはリード取るなり進塁するなり、アウトになるリスクを冒さなきゃならない。それと同じで、日常はそこに留まっていつまでも安穏としていられるものじゃない。どこかに分岐点が必要だし、飛び石みたいに飛び移らないと進めないんです。日常から次の段階の日常に飛び移るには、それぞれ飛躍が必要で、みんな普段やっていることでもある。けれど、その日常を踏み外すと、引き篭もりになっちゃったり、借金に追われたり、変な宗教にはまってしまったり。だから僕は、最後に「安穏とした日常が続くと思うなよ、それが日常なんだぞ」ということが描きたかった

物語の意味からは逃れられないんだと思います。その中でどれだけ端っこにいけるのかとか、どれだけ遊べるか

組織というのは、先鋭化するとイケイケドンドンの人しか残らなくなるんですよ。「これは違うんじゃないか」と考えるような人は、途中で抜けてしまう。そうやって止める人がいなくなるから、なおさら暴走してしまう

ブラック企業は割りとゾンビが多い気がする。


(赤城は)病的な負けず嫌いなんだと思います。議論で自分がやり込められたりすることに耐えられなくて、全く違うことで反論したりする。時には逆恨みでそいつを遠くへ飛ばしたりしてね。ただ、本人がそれを逆恨みだと思っていないから、負けず嫌いな感情とイデオロギーが矛盾していない。でもそんな人、社会に出るといっぱいいるでしょう? クラスや職場にいるちょっと困ったやつ。赤城はたまたまそんな状況に投げ込まれたから、デカイことをしでかしてしまっただけ

このあたり青の子。



http://www.webdice.jp/dice/detail/3422/

基本的に僕は、失敗した人たちの話が好きなんですね。成功した人たちの成功談は、読んでいて癪だから

このぐらいの年齢に鬱々としていて、青春を謳歌していなかった人はしていた人より多いと思うんだけれど(笑)、漫画で描いた頃も、周りがハッピーエンドの漫画が多すぎるなと思って、逆のことをやりたいと80、90年代描いていたけど、いまだにそうですよね。ハッピーエンドが悪いとは言わないけれど、多すぎるなと。ここはひとつ僕がバランスをとらないと

私もバッドエンド好き。



http://d.hatena.ne.jp/mame-tanuki+tiraura/20111207/Cult_YamamotoNaoki

「人々が外部と向き合う視点を失い、異常な結果をもたらす」というのは、家庭内暴力や教室でのいじめ、カンボジアの虐殺や戦争末期の日本軍、最近ではオリンパスなど、そこら中で起きています。集団は本質的に自閉しがちだからこそ、生き延びるために外部と交流しなければならない

ひきこもりの私には耳が痛い。



http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/red.html

永田=赤城像とは、経験も理論も浅い人間であるがゆえに心の底ではたえず不安や動揺にさいなまれていたこと、しかし、他面で教条的なまじめさでそれを押さえつけて乗り切っているのであり、こうした教条的なまじめさに自分の意見への固執が加わると手が付けられないほど頑固になってしまうというものだ。
さして激しい学生運動の体験もないのにセクトに居着き、それを教条的なまじめさだけでこなしていこうとした。活動家においてこういうタイプの人間をぼくはしばしば見受ける。そして自分のなかに経験や理論の自信・根拠というものがないから、たえず強力な指導者に影響を受け、その忠実な実行者であろうとした。

非現実的な「武装闘争」へと傾斜していくとき、理論や経験があればそれを防ぐことができた。あるいは「ふまじめ」であればどこかで放り投げていくこともできた。永田にはどちらも欠けていた

「創作なんて学校で習うもんでもないし」とか言っちゃう人が陥りがちなのはココだと思うので、基礎のインプットはしっかりやってからアウトプットしたほうがほんとにいいと思います。アウトプットについても、自己評価ではなくきちんと他者からフィードバックを受け取ったほうが良いと思います。

女性らしさを生きることはブルジョア的・封建的な女性観であり、女性性を否定した抽象的人間——永田の言い方を借りれば「中性の怪物」になることをメンバーに求め、その非人間的な女性観が悲劇の一因となった

当時、新左翼の運動に関わっていた者なら、例外なしに、実力闘争の時代が到来したことを実感したものだった。植垣は全共闘運動のなかで「学生独裁論」という奇妙な議論をうちたてる。ぼくは高校生のときにこの植垣の「学生独裁論」のくだりを読んで、非常に暗い気持ちになったことを覚えている。その気分の正体は当時わからなかったのだが、多分あまりに稚拙だという印象をもち、左翼ってこんなもんかと思ったせいではないか

社会経験浅い人が、何に浮かされてるのかわからないけれど、こういう抽象的人間観とか「若者はこうあるべき」論みたいなのを唱えてるの見ると気持ち悪いな―と思うんですよね。

学内の過激な空気にそのままアオられ、大学が次第に全共闘型の運動に冷めていくなかで、その空気のまま大学の外に飛び出して先鋭化していったのが連合赤軍メンバーたちであった
空気が「実力行動」や全共闘型の運動に対して急速に冷めていくなかで「追い出される」ように学外へはじきだされていった

最も大きな背景に、新左翼的な「実力闘争」の高揚を共通体験してしまったことがあげられると思っている。それが「実力」によって現代日本で革命ができるという誤解を根底で支え続けた。ついでそれを意識的な「武装闘争」に変えていく段階があった

組織の壊滅をおそれるようになり、その恐怖心を根幹にして私刑が正当化される。抜ければ警察にしゃべるだろうという恐怖があるので、もはやがんじがらめになっていく。後戻りできない

ここに、この構造を強化し、促進させる独特のモーターが作動した。それが森の個性であり、永田の個性であり、あるいはゆがんだ「性」の捉え方であった。ただこの部分はあくまで「促進材料」だ。最初の1人を「処刑」するとき(印旛沼事件)、わりとスンナリ決定がなされてしまうのは、もはや怒濤のような流れが出来てしまっているから

決定的なターニングポイントは、ダイナマイトなどの「武装闘争」に傾斜していく地点なのだ。

それぞれが分断され、閉鎖空間になってるミニ社会だと、こういう「うちらの世界」の壁を越えて襲い掛かってくる空気に対抗しきれない人々が出てくるような気がする。いじめ問題についても、もはや学校やらクラスといった、個々の「うちらの世界」レベルでは止められない怒涛の勢いが在るんだろうかなと思う。




使命感と、逮捕されることへの恐れとが激しくせめぎ始める。結果、逮捕への恐れを恥とみなし、無理矢理に拒否反応を押し隠して使命感を募らせていった

今のネトウヨさんたちにはこの葛藤はないよね。使命感よりも、誰かと連帯したり、何かを攻撃する快感だけで動いてるような印象を受ける。ただ、逆に言えばこの恐怖との葛藤が無いゆえに、爆発はしないみたいなところがあるのかも。



<あとで読む>
http://www.yamamotonaoki.com/interview/

http://blog.livedoor.jp/geek/archives/51395685.html

http://www.ohtabooks.com/eroticsf/blog/f68miyadai_yamamoto.pdf




<以前書いた「うちらの世界」に関する記事>
http://possession.hatenablog.com/entry/2013/08/30/221302

http://possession.hatenablog.com/entry/2013/08/07/230722

http://possession.hatenablog.com/entry/2013/08/22/214348