暴力大好きですやーん!
ちょうど昨日書いた「はだしのゲン」に抱いたモヤモヤを
ガッチャマンクラウズ7話が非常にわかりやすく表現してたので引用。
「そんな化物にのっかって。
なんだかんだいって頼ってんだろ、その力によ。
参った参った。
結局ミーと一緒ですやーん!
暴力大好きですやーん!
革命とか格好良いこと言って…力欲しかっただけですやーん!
ねぇルイルイ?ルイルーイ?」
今の時代に読んでいるからかもしれないけれど(日本に置いて「反戦」という正義があまりにも強すぎる)どうしても、はだしのゲンを読んでいると、「平和と、戦争肯定派を懲らしめることが大好きです」みたいな香りがする。人間のある面を完全に否定しつくそうとする動きは、どうも筋が悪い気がするのよね。
以上終わり。
あとは、「はだしのゲン」について思うことがあるとしたら、
作者が明確に意図したわけではないのだろうけれど
戦争によって「天皇」も「政府」も「共同体」も信じられなく成った人たちが
力(=金)だけを信じて、
それだけを求めるようになっていく様が描かれているように見える。
ゲンも例外ではない。ゲンだって何度も「金さえあれば」と口にする。
この話において、「強くなる」ことと「金を手に入れること」が
どうしても切り離せないのである。
貧困とは別の次元で、金以外を信じられない状況が執拗に描かれる。
はだしのゲンは、反戦や平和の大切さを訴えるとともに、
金以上に信じられるもの、信じるべきものを描こうとして
悪戦苦闘し、描ききれなかったたマンガだったのかもしれない。
「初めて聞いてくれましたね、
いままでよそでミーが何してるか、
怖がって聞いてくれなかったのにぃ!」
「フレイムフェザー(笑)
ねえ、ねえ、まぁだそんなことやってんの?
地球救わなきゃ―、とか俺がやらなきゃー、とか
マジでできると思ってんの? ね、バカなの?ね、バカなのねええぇEEE!」
バーニングハンマー(笑) バーニングホールド(笑)
バードGO出来ませんでしたね―(笑)」
「カッツェっす。ベルク・カッツェっす!」
「見えないっすか?ここにいるんすけど」
「君、いいねぇ~。ちゃんとミーの言葉考えてくれたんですね」
「はじめちゃん、君気に入ったから、なぞなぞだしてあげる。
どんな人間も大好きなめっちゃくちゃ甘くて美味しいものってなーんだ?」
「じゃあ、考えといてねぇ~~」
「カッツェさん、今、楽しいっすか?」
「超~~メシウマッ!」
「お腹いっぱいっすかぁ?」
「まだまだ、っすね」
「うつつちゃん。僕、なんだかわかんないけど、寂しくてたまんないっす」