歴史マンガはいい文明

「風雲児たち」から初めていろんな歴史マンガを読みます。オススメの歴史漫画あれば教えてください

「にわかをバカにする通ぶったにわか」にならないための2つのルール

・にわかは排除するな。だけど迷惑行為する奴はダメだ
 (批判の対象はルールに従って決定し、批判の範囲も限定的かつ具体的に。
 その時々の薄い根拠で「にわかだからダメ」は論外)


・自分が通であると自分で主張するな。
 自分から「にわかか通か」の決定権を手放せ。
 自分に決定権があるとおもっているうちは「うちらの世界」から出られない

以上。
あとはおまけです。あとは自虐話です。







おそらく、にわかにはレイヤーがある。

面白い人・知識人>>越えられない壁> にわかA>にわかB>にわかC>にわかD>初心者

という構造になっている。
もちろん左側にもレイヤーがあるのだろうけれど、今問題にしたいのは壁の右側。

つまり、にわかを叩いても自分がにわかでないことの証明にはならない。
「にわかにしてはマシ」である、ということしか証明出来ないのだ。




こう考えると、にわかを叩いて喜ぶのは、
自分が壁を越えられなかったことの証明になってしまう気がする。

「自分がなにが正しいか、なにが面白いかが分からないが、
 何が間違っているかだけは分かる程度のレベルしかない」
ということを証明しているようなものである。





そういう人の特徴としては以下のような物があるだろう。


・誰かを批判したり、クネクネした発言の時は
 じぶんよりさらににわかの人たちの注目を集めるが、
 自分が良いと思った物を全力ですすめる記事をかいても注目されない


・誰かを叩くときだけ活き活きしてリミットオフで勢いよく書くが
 何かを褒める記事を書くときはいろんな言い訳したり手を抜いたりする


・誰かを批判するとき、批判の範囲と対象がぼやけているので
 「お前は何と戦っているんだ」とよく突っ込まれる。


・人に認めてもらう前に、自分が通であると自分で言いたがる。
 その際に「人気作に背を向けることが硬派」などの
 ステレオタイプなイメージをシグナリングとして利用するので
 にわか扱いされるのが、その自覚がない。

・時々調子に乗りすぎて、詳しい人を召還してしまいフルボッコにされる。





・・・これなんて、私。恥ずかしい。
にわかの間で優越感ゲームをするのは本当に不毛だ。死にたい。



というわけで、「にわかをバカにする」という行為は
かなり修羅の道なので辞めた方が良いような気がします。

結局、長期的には

「その人のオススメしてる作品や、語り口が面白いか(知識・センス)」
「その人の批判は、単体で読み物としてなりたつくらい面白いか(文章力)」
「その人の人格が面白いか(キャラ)」

で認められないと長続きしないのではないでしょうか。




多分にわかという言葉がダメなんだろう。
ゆとりという言葉と同じくらいネガティブに機能する。

責任を「にわか」とか「ゆとり」とよんでいる人に押しつけている。
自分たちは何の責任もない存在と位置づけている。
壮じゃない、ってことに気付かないとダメなのだろう


http://blog.livedoor.jp/footcalcio/archives/29968284.html

「『にわかだから騒ぐな』っていうのは、俺は好きじゃない」「にわかを馬鹿にするんだったら、サッカーに人生を注がなきゃだめよ」と、ライトなサッカーファンを批判する投稿者に苦言を呈している。ヨーロッパの熱狂的なファンのように、サッカーのために仕事をする程の愛がない限りは「にわかファン」を馬鹿にするなというのだ。

有吉はさらに「『サッカーを見るな、騒ぐな』って言って、にわかファンがふてくされちゃったらどうなるって話なのよ」「昔に戻っちゃうよ、辛い時期に。にわかも巻き込んでこそでしょ?」と続け、「にわかファン批判」を行うことで日本サッカー界が衰退する危険性を力説し始めた。

プロレスが勢いを失っていた「冬の時代」は、熱狂的なファンだけが盛り上がり、次々と団体が倒産していったという。さらに「エンターテイメントにしてどんどん外側に広げていくと、中で騒いでたやつはいつも不満なんだけど、そっちのほうがプロレス全体は盛り上がって」「選手たちもそっちのほうがいいのに、変な一部のコアなファンだけが『そうじゃない!』って騒いでるのが嫌で」とも語り、当時のプロレスと熱狂的なファンとの関係と同じものを、現在のサッカー界に感じた

にわかをバカにすることで サッカー人気を下げてることに気づかないんだよね
にわかと煽ってる本人はサッカー知識が豊富なことを自慢したいだけなんだろうけど
それがどういうことをもたらすのか理解してない