なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

もこっちはどうすれば幸せになれますか(すごく余計なお世話)

すごくいやな考え方だという自覚はあるのだけれど、
もこっちみたいなのを見ると、
この子が救われるにはどうしたら良いだろう、ってことを
どうしても自分主体で、上から目線で考えてしまう。
ついつい「問題解決」というか「矯正」しようとしてしまう。
こういうのレイプファンタジーって言うんでしたっけ(適当)



琴浦さん」「貧乏神が!」みたいに
セカイが自分に優しくしてくれたらトラウマ治りますかね。

「生徒会長はメイド様」「俺の妹がこんなにかわいいわけがない」的な感じで
友だち作ったら癒される物なんですかね。

「橋姫パルシィ」「古明石さとり」に関する二次創作みたいに
百合っとけば、自分の本質曲げたり抑えたり制御したりできるようになりますかね。


でもやっかいなのは、
もこっちは「他者に認められる要素」を徹底的に排除して描かれてるよね。
もこっちが女の子なうえ、
生きていくために必要な、なんの技能も持たないって事だよね。

似たようなタイプとして「はがない」の夜空がいるが、これも違う。夜空は「美少女」属性をまとっているし、星奈ほどではないにせよ、勉学等においてもスペックは決して低くない、恋愛による解決が可能だ。小鷹から離れたとしても(私が好きな)誰かに依存しない自立救済・自立自尊も可能だろう。
一方「わたもて」のもこっちは、こっち方面でも本当にどうしようもない。


他者による肯定みたいな解決は難しいと思う。
かりに他者が認めてくれていたとしても(実際に中学生の友人がそういうポジションにいる)自己承認ができない以上それは救いにならんでしょう。


個人的には、もこっちには救済は特に必要ないので
「救われないまでも今の生き方もそれなりに幸せなんじゃね?」という
男オタクには当然認められているセカイがあっても良いと思う。

その先の末路なんて別に見せてもらう必要はない。自分でよく分かってるのでorz



もこっちの「魅力」ってなんだろう

観察対象として遠くで見る分には「共感」できて良いかもしれない。
たとえそれが嫌なものであっても「共感」というのは快感に違いない。
「わかるわー」って言えるものがある時、
自分が肯定されたような気がする。
自分だって生きていてもいいんだ、みたいな居場所を錯覚できる。


ただ、こういう共感は、もこっちを「遠く」に感じていればこそのものだ。
何かしらの距離や隔たりがあるから楽しめる。
私自身高校時代は無自覚なSADであり、とてもツライ生活を送った。
なので本来はこういうSAD的な要素がむき出しに描かれると
さすがにへこむはずなのだが、時間・性別などで隔てられていればこそ楽しめる。
昔の流行の言葉で言えば「安全に痛い」というやつか。


逆に私と違って、もこっちを身近に感じた人はどう思うのだろう。
感情的にブチ切れする人もいるのだろうな。そっちはあんまり興味が無い。
逆に、もこっちを、「身近な存在」として感じつつ、魅力を感じることはできるのだろうか。もし、そう感じる人がいたら、「身近なもこっち」の魅力とはどのようなものなのか聞いてみたい。