歴史マンガはいい文明

「風雲児たち」から初めていろんな歴史マンガを読みます。オススメの歴史漫画あれば教えてください

「自分語り」ばかりしているとどうなるか

真性マッチョと疑似マッチョ(過剰適応者、なんちゃってマッチョ)の違いというか。私は真性の人は自分と別人種だと割り切ってるけれど、上っ面だけ、あるいは「本人の意識だけマッチョのつもり」で適当な事を書くなんちゃってマッチョの人は苦手だ。

ところで、この私が苦手な「なんちゃってマッチョ」を生み出すのは、自分語りを続けることとか、自分語りそのもので人の気を惹こうとする試みとつながりがあるのではないか。

となると、「きっと何者にもなれないおまえたち(私も含む)」の中で、自分語りにはまったり、自分語りをせずにはおれない人は何を考えているのか、が気になる。バカ写真をtwitterに投稿する人たちもあれ自己表現とか自分語りのつもりだろうから、なぜ自らの身を破滅においやるようなリスクをとってまで自分語りをせねばならぬのか、がよく分からない。


・そもそも私たちは「きっと何者にもなれない」のか。
 それが真実ではないなら、なぜそう感じてしまうのか。
 今の時代「何者かになる」というのはどういうことか。*1

・「きっと何者にもなれない」と感じることと自分語りに走ることのつながりは何か。

あたりの話が気になる。


蛇足だけれど、私は「自分の内側を語れば何か変わるのですか?自分を語ることにどれほどの力や意味があるのですか?」と問いかけた歌のタイトルが、「セカイノナミダ」だというのがとても気になっている。


◆参考資料

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/08/203850

「マッチョ」という概念については、いまひとつピンと来ないところがあるんですけども、たとえばそれは「ある人が、自分の資質に無自覚であり、かつその無自覚さのゆえに、たいていのことは努力でどうにかなるから、しろって人に強要する」ような状態。だとするなら、俺はまさにそういうものなんじゃないか。

文章を書くという意味に於いては、おそらく天然マッチョな人がそれを自覚した文章。



http://biz-journal.jp/2013/08/post_2643_2.html
一方、こちらは、元々はマッチョでなかった人が、
自分語りを続けた結果として、擬似的にマッチョになる、みたいな話。




面白かったので、ブロガー版に変更してみる。
○○には「自分語りブロガー」とでも入れて読んでみて下さい。

自分語りを続けるために、演出や演技を身につける

就活生の場合、一生のうちにそうした自分語りや動機語りを求められるのは数カ月ですよね。でも○○の場合、それが日常的で、ほとんどの○○は作品に出演しながら営業にまわることも同時にこなしているんですよ。

日常的に語る機会が多いと、おもしろくない話では彼女たち自身も飽きてしまう。だからそれなりに起承転結のある、人を惹きつける語り口を当然習得していくわけです。

やり過ぎるて、誇張やねつ造、いい加減な知識を断言口調で語る人になります。


自己肯定、戦意発揚効果としての自分語りが、自分の現実を塗り替えていく

○○になった動機や、自分語りをしていくうちに
「○○になった理由が、○○である理由にすり替わる」。
「私は好きで○○をやっている」などといった、便宜的に使っている理由が本当であれ嘘であれ、そうした自分を肯定する語りが自分自身を奮い立たせたり、仕事を続けていく上での快楽性を出すために作用している。中毒性ともいえるかも知れませんが、○○する理由を明確に語り続けることによってプライドを保ちやすいというか、中毒性までいかないかもしれませんが、仕事を続けるひとつの理由になる。

常に自己を肯定する語りを続ける。常に、自分の現状を肯定するように語りを変える。

ブラック企業で働いていたときはニート生活保護者を差別するような発言を連呼していた人が、そううつ病になって退職し、無職になったとたんに論調が大きく反転してニートそれ自体は問題無い、むしろニートであることの必然性や、24歳になったら壁にぶち当たるのは真面目に生きてきた証拠だとかいって自己の現状を正当化する。


自分の商品価値を過剰に意識し、それを可視化してくれるものを求め、依存する

自らの商品的価値を一度も意識しないことは不可能だとあります。その人たちは私の女としての価値を買ってくれるものと見えるじゃないですか。それに引っかかる人もいれば、そうでない人もいます

その基準を過剰に内面化し、時にうざったいくらいアピールする。
たとえば、はてブ数を自慢して、「これだけはてブを稼ぐのは、東大生になるくらい難しいはずだ」と主張する。



まとめ 自分語りは、リスクに自覚を持ち、用法用量をまもって正しくお使い下さい

「理想の」「演技している」自分を本当の(イマの)自分の姿だと思い込んでしまったり
「自己肯定」の手段が目的になってしまうと、常に自分で自分にプレッシャーを与え、(理想の)自分に(素の)自分が否定・抑圧される事になってしまうのではないか。

自覚があってストレッチするならともかく、無自覚のママ演技している自分に引きずりまわされ、自分の現実をどんどん嘘や誇張が浸食し、評価基準までもがその自分を抑圧している状態が制御できないというのはとても危険だろう。自分のストレッチを、無自覚に続けていると躁鬱病になるリスクが高いと思う。

*1:少なくとも、父も母もこういう事で悩んだことは殆どないらしい