「ガッチャマンクラウズ」1話~3話見た
リアルタイムで見るほうが面白い作品だと思う。
結末は、がっかりオチになる危険性もある。AngelBeats!みたいに。
それでも、何か新しいことやろうってチャレンジ精神感じる。
すごく先が楽しみ。 とりあえずOPとEDがすごくいいよね。
「かわいくしようと思っただけっす」
「コラボしたっす」
ところで、個人的事情なのだけれど、
今自分の後輩にはじめちゃんみたいな子がいる。
はっきりいって、扱いにものすごく困っている。
はじめは理解のスピードがめちゃくちゃ早いくせに、言葉にして説明するのが壊滅的に下手なんで、変なやつ、よくわかんないやつって感じる人も多いとは思う
http://d.hatena.ne.jp/alphabate/20130721/1374402608
だから、1回めは清音(男の主人公)の視線寄りで見ている。
「この女(はじめ)のこと、よくわかんねー、わかんねーけど気になる」
みたいな視線で楽しみたい。
このあたり次期にアニメ化される「大図書館の羊飼い」と同じテーマっすね。
私からみたら、後輩君はコミュ障に見えてしまう。
しかし、この作品に言わせれば私の側の理解力や想像力が乏しいということになるだろう。
ガチガチの考えにしたがって行動する清音のことを、「まっすぐしか見てなくて人として、ガッチャマンとしてアレ」とか言ったり、新人、お前と呼ぶ清音に名前で呼ぶよう怒ったりする。はじめを組織の指示をこなすガッチャマンとして扱う清音に対して、自分を1人の人間として見てほしい、という意味で。多分。
こういう人物に対して、
先輩として何ができるのか、何もしない方がいいのか。
受容したり応援すべきところはなにか、抑えるべきところはなにか。
いや、そもそもコミュ障に見える後輩君は、何を考えて、何を望んでいるのか
どういう方向に力を発揮できるのか・・・そういうあたりでまず興味がある。
その他の感想箇条書き。
①「ガッチャマンらしさ」とかはわからない。
はじめに。私ガッチャマンについては知識ゼロ。
「歴代のガッチャマンに比べれば、十分惨めだ」
「うつうつします」
「今の世界、複雑すぎて、よほど優秀なリーダーが現れたとしても
それだけでどうにかなるもんでもないっしょ」
そのあたりの解説記事はもうちょっとしたら読めると思うので期待。
②コミュニケーションについての対比
「極端に悲観的」な視点(善悪二元論、敵味方の永久闘争観)と
「極端に楽観的」な視点(イマジンとかラブアンドピースのお花畑ワールド)
の対比みたいな?
能力が低く、かつ責任が重いほど前者に偏り、
能力が高く、かつ責任から開放されているほど後者に偏り、
というような話を聞いたことがある。
③ネットサービスについての興味
SNSのGALAXが目立つ。
東のエデンとかサマーウォーズぽいのを思い浮かべた。
でも、このSNSはよく進化しても「サイコパス」システムであり
悪い方向に進めば「ライブ・ア・ライブ」の宇宙船システムだろう。
「ロボティクス・ノーツ」の「居る夫」あたりが落とし所になればいいけれど。
救助活動とかでポイントつくようなSNSって、地域通貨の発想よね。
私たちの現実でも実際にやってるサービスありますか?
「いいね!」の細分化というか用途別に特化したりポイント化は
すでに実践されてると思うので、ソーシャルサービスに詳しい人に
是非ガッチャマンクラウズを観てもらって解説してほしい。
④SNSの功罪は現在でも論じられるテーマ
現時点では、はじめやGALAXの活動について、
可能性は感じるけれど、やや否定的な見方をしている。
可能性を感じるのは「さまざまな行動が促進される」こと。これはいいよね。
アメーバピグって悪い点ばかりネットで話題になるけど
そこからこの作品で紹介されたような良い事例ってあるんですか?
「何か行動する際に必要な「連帯」のハードルが下がること」
「年代や職業などの垣根を越えたコミュニティの作成」
「企業やNPOとは違う集団の作り方の可能性。
正解や常識に萎縮して行動が阻害されることがない」とか。
否定的なのは、言うまでもなく
「楽観的すぎる」「ネガティブ方面の制御どうすんの」あたりかしら。
3話冒頭の弁護士さんの話とかこのマッチングははっきりいって「ヤバすぎる」。正直、studygiftが可愛くなるくらいに楽観的に設計されているサービスだと思う。問題が100起きても、3くらい良い店があればOKみたいな。
(※個人的には、GALAXはドワンゴの川上会長が岡田斗司夫さんとの対談で岡田さん側が主張していたような運営思想であり、逆にニコニコ動画はそれと真逆の運営思想であると感じたのだけれど、正確に記憶していないので、後で確認する)
⑤言語以外のコミュニケーション。ニュータイプの存在
・MESSとの「対話?」については「劇場版ガンダム00」思い出した。
こういうの見ると、ネットのコミュニケーションって
なんだかんだいって言語に依存しがちだなと思う。
1つ目は、有史以来初めて、僕らの心がネットにより可視化された事。
http://d.hatena.ne.jp/alphabate/20130721/1374402608
可視化された心が起こす様々な問題や騒動をどう捉えていいか解らず、
個人も社会もただただ戸惑っています。
はじめのように感受性が強くても言語能力が乏しい人は生存が困難だ。
日本人と韓国人のように「言語が通じないモノ同士」の溝も広がってるような気もする。
http://rui-r.at.webry.info/201009/article_6.html
これについても「言語通じるけど理解できない相手」とか
「言語通じないしやっぱり理解もできない相手」とか出てくると面白い。
とりあえず、今の時点だと、
GALAXの立ち位置が見えないのでなんとも。
社会の置き換えを目的としてるなら、
実際には社会を破壊する方向が強すぎる割に
運営(責任や決断・統率を行う存在)が脆弱すぎて無理がある。
こいつはガッチャマンチームの倒すべき対象になっちゃったり。
まぁこっちはないかな。
今の時点でGALAXの限界とか、相互協力の可能性示唆されてるから。
かといって、GALAXをそのまんま肯定するだけだと
うえのほうで書いたけど「将来はサイコパスの世界」でしかない。
GALAXとガッチャマンが協力して何かと戦うって展開だと
その場合、変化と維持すべきところ融合できるかな。
問題がごちゃごちゃになってしまわないか心配。
はじめちゃんがやたらと賢いのでできちゃったりするのかな。