なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

魂とインターフェイスの断絶

魂の声を無視し、外界の規範に従ったインターフェイスが構築されてしまうと、自分の感情を抑圧した行動を取るようになってしまう。感情の抑圧が更に進むと、自分の感情を抑圧した行動をとるようになってしまう。感情の抑圧が更に進むと、自分の情動を感じることもできなくなっってしまう。このような状況では、自分の情動を感じることもできなくなってしまう。

インターフェイスの完全な在り方は、魂の声に基づいて外界とスムーズにやり取りすることであるが、次の3通りの断絶が起こりうる。

1 インターフェイスと魂の間が断絶する場合
外界からの規範の押し付けに寄ってインターフェイスと魂の間が断絶してしまっていると、自分が本来もっている感情を覚えることが出来ず、外的規範に従った振る舞いをする。この状態は、インターフェイスと魂の間が切断された上に、外的規範をインターフェイスに取り込んでしまった状態であり、インターフェイスと内部が断絶した内部断絶状態である。
 外的規範の押し付けが弱まったりなくなったりした場合でも、一旦起きた断絶はすぐには回復しないので、外界から強制的に押し付けられたラベル付にしたがって行動することが全てという人格を構成してしまう

2 インターフェイスが魂と外界の両方と断絶し孤立する場合
 
1の内部断絶状態からさらに、外的規範との関係を変えざるを得なくなった場合には、外部とインターフェイスとの間が切断される。外部断絶が内部断絶よりも強い場合。つまりハラスメントがだんだんと協力になり、心理的身体的圧迫にどんなに頑張っても耐えられなくなった場合も同様な効果がある。

このようになってしまうと、インターフェイスはその時時の外的規範もきちんと解釈することができなくなる。この状態は、インターフェイスが内部との外部とも断絶した孤立状態である。孤立状態では、ラベル付能力自体が失われてしまう。なぜなら自分の情動を感じられない上、外部からラベルを受け取ることも出来ないからである。

a 外部断絶が内部断絶に勝る場合。情動反応を感じた時には、ソレに対して外的規範にも自分の本来の感覚にも従わない奇妙なラベル付けを行なってしまい、間違った情動反応の解釈が幻覚として洗われる。特に正しく解釈できないのは、人格に対する攻撃を攻撃として捉えることである。攻撃の感触が情動反応として残っているにもかかわらず、その感触を正しく解釈できない場合に幻覚は迫害妄想の形を取る。


b 内部断絶が外部断絶に優っていると、無気力になる。孤立状態に陥る前の内部断絶状態では外的規範に従うことが行動の全てであったものが、インターフェイスと外界の間の切断がなされることに寄って行動の指針を失うためである。こうなってしまうと社会的活動一切を停止してしまわざるをえない。(働きマンニートのエピソードが該当。10話以降のレドさんもこうなる危険が)

3 インターフェイスと外界の間が断絶する場合

ハラスメントに耐えられず、最初から外界を拒絶してしまった場合、もしくはラベルの提示を受けずに放置されていた場合。インターフェイスと外界の間が切断されてしまい、外界とのやり取りをまったく考慮しないインターフェイスが構築されてしまう。この状態はインターフェイスと外部が断絶した外部断絶状態である。
 コミュニケーションを拒否しているので、情動が創発するコンテキストに応じて行動を変更することはない。自分の内部ルールとの整合性がとれないことは単に無視する。


 この状態では、断絶していないときに得た最小限のラベルで、すべての経験にらべるづけをせざるを得ない。その結果、感情に即したラベル付をそれぞれの局面で実行するのではなく、自分で生成した一定のルールに基づいたラベルづけによってインターフェイスを構築することになる。そこで用いられるルールは、外界との幅広いやりとりを通じて学習したものではなく、内部的整合性のみを重視した行動をとることになる

*1

完成形

ハラスメントに対する学習は、学習の基盤となる情動を切離し、外界から提供されるラベルを拒否するという、自律性を下げる学習である。自律性が下がると、学習能力は落ちてしまう。そして、自律性を下げ続けた果てに「学習能力を失う」という「学習の完成」がある。この学習が完成すると、ソレ以降の学習は停止してしまう。




true tearsの主要な登場ん人物はみなそれぞれの形で自分自身を裏切っている。

dokaiさんの記事「本音と抑圧」において、乃絵は本音しかない、と書かれているが、彼女は祖母による深刻な抑圧によって誰よりも本音を抑圧している(その自覚すら持てない状態)というのが私の印象。

安藤愛子は自分の都合で自分を抑圧しているだけなので、いざその気になれば自分の意思だけで脱却できる。

湯浅比呂美は、自分の意思にもとづいて自分を抑圧しているほか、家の都合でも自分を抑圧されている。しかしいずれにせよ、抑圧していることは自覚しているし、抑圧されていることも自覚している。

石動乃絵は、他者の意思によって自分を抑圧されている上、抑圧されているという自覚を持たない。そのことを自覚せぬよう、他者からのフィードバックを拒否している状態であり、私の中では青  とかぶって見える。

仲上眞一郎は、抑圧していないしされてもいない。抑圧らしきものは多数存在するが、すべて拒否可能であり実際拒否している状態である。 ただ、何も決められないとう極めてエロゲ主人公的な状態に置かれている。





それぞれの魂とインターフェイスと外界の関係がどうなっているかを考えてみると面白い。

*1:これは「少ないラベルによる貧相なインターフェイスや内部整合性のみを重視した行動など」青  の特徴を極めて明確に示していると思われる。