歴史マンガはいい文明

「風雲児たち」から初めていろんな歴史マンガを読みます。オススメの歴史漫画あれば教えてください

店長の言ってることはある意味ワタミの社長よりはるかに厳しい

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/06/01/232610

について。




メイド長
「もう一度云います。自分の運命をつかめない存在は虫です。
 私は虫が嫌いです。大嫌いです。
 虫で居続けることに甘んじる人を人間だとは思いません」


「わたしたちを、ニンゲンにしてください。
 わたしは、あなたがうんめい、だと――おもいます」

店長は決して優しいわけではない。

ワタミの人と、店長の人はどちらもそれぞれの定義から「虫」を嫌う。

ただ、その角度が違うというだけである。



それでも店長の意見はとても重要である。

正しさは1つに絞られるとろくな事にならない。評価指標は1つであってはならない。

店長以外にも、この件に関していろんな意見が読めると良いと思う。





この記事で書かれていることは、むしろある意味ワ○ミなんかよりずっと厳しいと言える。


ざっくばらんにまとめると


ワタミ「自分で生きる目的や気力がないなら、何も考えずに俺の人格改造セミナー組織で働け。この過酷な世界でも生きられるように鍛えてやる。ただ途中で死んだらゴメンな」だと思う。


店長はワタミはある程度正しい。でもそれが最善とは思えない。人間は機械じゃないんだから、自分にとってよりよい道をそれぞれが考えて達成するべきだ。ワタミ的なものにNOをつきつけるためにも、各自が自分の生きる道を、自分の責任で模索して実行しなきゃ駄目だろ」といった感じだと思う。


まぁ店長はバイトとか新社会人にこのレベルを求めてるわけじゃないだろう。あくまで経営者やリーダーとはかくあるべし、という話をしている。ただ、一方で全ての人間が自分の人生についてはリーダーシップを取るべし、自分の人生には自分で責任取るべし、他人に頼るな、という事を要求している。店長の話では「まじめに働くだけ」では不十分で、頭も使うことも必須条件である。(頭をつかうことの方を重視しているというべきか) これは、「生きてればソレでいい」という考えの人にはワタミよりなおキツイかもしれんね。「無能な勤勉者は銃殺すべし」的なイメージだ。




どちらにせよワタミ的思想も店長も「家畜に神はいない!」という点では共通している。




店長の意見は私達を守ったり肯定してくれるものではない。
あくまで、別の選択肢を提示してくれていただけだ、ということを理解したうえで
この記事をどう活かすかは、それぞれが考えないといけない。大変だ。





とりあえず私としては

1 ワタミに対して悪いところだけを強調して叩いてスッキリ・・・ではなく
  その思想や背景についてある程度理解しようとつとめること。
  問題点を整理したり、相手の思考を推測してみる(肯定する必要はまったくない)


2 ワタミ的な方法以外の代替の選択肢・生存戦略を考えること。
  例えば店長の記事を参考にしてもいいし、他の方法でもいい


3 自分なりの生存戦略を考え続け、それを実行して、なんとか生き延びること

ということになるだろうか。

こういうことを「誰もが」考えなければいけない時点で
今はとても大変な時代だと思うのだけれどな。
団塊世代のオッサンから見たら、今の世の中って物質的に豊かで恵まれてて
若者は贅沢言ってるって話になるらしいのが、どう考えても納得行かない・・・

以前に書いた記事 ttp://anond.hatelabo.jp/20130509230429


蛇足1

arakik10 店長さんのワタミ社長のエントリへの意見。
「いろんな人がいる」っていうあたりまえのことを、
あたりまえに言うことにこんだけのエネルギーが必要って嫌な世の中だな。

(自分にとって)当たり前のことを当たり前にいうって、ものすごく大変だよ?なぜならまず「自分」を強く持ち続けないといけないのだから。自分というものを持たなければ自分にとって当たり前のことを言うのは難しい。まして、それが多くの人に当たり前と認識されるには、いろんなハードルがあるよね。
ワタミの恐ろしいところは、従業員が「各自にとっての当たり前」をまったく尊重されていないところにあると思う。「お客様のために」というお題目のもと、社長の理念によって従業員の「当たり前」がすり潰され、意思なきゾンビや人形のように扱われる。そういうのを「ハラスメントの構造」と言うらしいです。
しかし、己を持って生きるには、頭を常に使い続けて何が正しいかを考え続け、その正しさを守るために努力し続ける必要がある。これはものすごくしんどい。しんどいからみんなそれを投げ出してきた結果が今と言えなくもないので、ほんとにこの問題は根深いなと感じます。




蛇足2

店長もいうように、ワタミ的な思想は、絶対的に間違っているわけではない。絶対的に正しいものもないように、絶対的に間違っているもない。 他にいくつもの道があって、それが選択可能なら問題ではない。途中退出可能なら問題ない。合う合わないの問題だと正しく認識され、合わないからといって人格を否定されるようなことがなければ問題ない。余裕がある人ほど、ワタミのことを「まぁそういう考え方もアリなんじゃないか?」と思うはずだ。しかし実際はどうなのだろう。ワタミで働いているような人は、別の道を考えたり、異議を唱えることが難しい状態ではないだろうか。 ワタミ的な思想が絶対的に正しいとされ、それ以外の道はないと言われ、異議を唱えることは許されず、それに従わないやつは人格を否定され、圧殺されたりしていないだろうか。 家庭や社会は、ワタミ的な思想以外にちゃんと別の選択肢を認めているだろうか。団塊世代の中にはワタミ的なしばきあげの思想が大好きな人が多いという印象がある。私の父も、ワタミ思想のシンパである。ワタミを批判し見下しつつも、ワタミと同じ事を言う人は多い。貧乏人・田舎者のルサンチマンを侮ってはいけない。彼らは決して若者の自由はおろか、苦悩して立ち止まることさえ許すことはない。自分たちが日本を豊かにしたといいつつ、ほんとうの意味で豊かさを子どもたちが享受することは感情的に許せないのだ。さらに言えば高度経済成長期の日本がいかに深刻なハラスメント構造を作り上げたかという話だと思うけどよくわかんない。要勉強。間違っているのは思想そのものではなくただの思想の1つにすぎないものが、その絶対性を主張することだ。「条件付きで正しい思想」が無条件、無根拠に支持され、弱者に無遠慮に押し付けられ、無批判(批判をうけつけないまま)に拡大することである