なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

ジャンヌ・ダルクについて⑥ 「傭兵ピエール」

これはまぁ異端の物語なので、他の作品を一度見た上で純粋なフィクションとして楽しみたいやつ。

ジャンヌ・ダルクに恋人兼参謀がいて、いろいろすったもんだしたあと途中でジャンヌを捨てて去るものの、最後にジャンヌが火刑にされるところに戻ってきて……という荒唐無稽なお話です。すごいシンプルなお話ではあるんですが、やはり最後の展開は今読んでもぐっときますよね。

この作品いろいろ見所あります。
オルレアン包囲戦の詳細な描写もそうですし、「みんな戦に疲れてた」というイメージが強い百年戦争の物語においてやたらと豪快に、しかも楽しげというか活き活きしてる主人公たち傭兵の描写それ自体がまず他にないわけですが、やはり、神聖化されがちなジャンヌダルクをもっとも人間味たっぷりに描いているのが特徴ですよね。 ピエールがジャンヌを抱かなかった理由って今でもわかるよーなわからんよーな。

ジャンヌ・ダルクについて⑤ 安彦良和「ジャンヌ」(後編) ルイ王太子との対決

なぜそうなのかっていうことはきかないで。
わたしにもそれはわからないの。
でも、神様がそう望まれているのよ。
この戦争はもうおわりにしなければならないって。
でも、人間たちの勝手な欲や、恨みや、意地にまかせていたのでは決着がつかない。
だからわたしに仕事をお命じになったの。

ロッシュの戦い

①シャルル7世の愛人アニエス・ソレルがいるためこちらに移動。
 先に王太子軍がロッシュを確保する。


王太子派ブルボン公の騎馬部隊5000 VS リッシュモンの部隊槍兵8000。
 本来は王太子軍の方が総勢で優勢であったのに、王太子が独断でロッシュに赴いたため大敗。
 ルイ王太子はオーベルニュへ敗走。

③リッシュモンから、ジャンヌと相対した時の話を聞く。


アランソン公がブルターニュ領バルトネーに侵攻

①サン・マクサンでの戦い
 エミールは使者としてアランソン公のもとを訪れ、アランソン公からジャンヌの話を聞く。
 アランソン公はジャンヌの件でシャルル7世に失望していた。

②アランソン公に捕らえられ、オーベルニュへ連行される。


③アランソン公は戦闘に破れ降伏。
 この間、ブルボン公、オルレアン公、ラ・トレモイユ、ブルゴーニュ公は全く動かず。


ジャンヌの異端審問の再現

「どちらかを選べ。男の服と女の服だ。素直に女に戻って女の服を着るなら情けをかけてやろう。だがこのうえまだ男のふりをしたいというのなら、それはどこまでも神の定めた掟に背き、この俺にも逆らうということだ。その時は…」

「あなたも、よもやジャンヌが女の服を着ることを拒み、そのために火あぶりにされたのを知らないはずはないでしょうに!」

「無論、知っているさ!だからお前にもそれをしてみろと言っているんだ!ジャンヌを気取るお前なら、服と一緒に生き死にを選ぶこともマネられるだろうよ!俺はジャンヌが好きだ!おれは多分ジャンヌとうまくやれただろう!ただし、戦が上手でイギリスを憎んでいるジャンヌとならばだ!神がかりで説教じみたジャンヌなら用はない。それよりも十万の軍隊とハガネの武器をおれは味方にして、神の祝福する勝利をもぎ取ってやる!
 ジャンヌは死んだ、灰になった……それで何が変わった!?イギリスは出ていったか!?神が正義を実現してくれるなら、聖書の民はもっと幸せだったろう!同じことだ!力以外の何に跪けと言うんだ!」

ジャンヌの出現に、みんな希望を見た。しかし、彼女に見た夢が果たされなかった時、ジャンヌなど最初から信じていなかったラ・トレモイユや、ジャンヌを評価しつつも依存しなかったリッシュモン以外は希望を持ってしまったがゆえにそれ以上の絶望を感じてしまった。バブル発生からの崩壊だわね。

ジャンヌを見殺しにしたこと、というかジャンヌがグランス全体の勝利をもたらさず途中でリタイアしたことの恐ろしさは、神というものを信じていたこの時代の人達に耐え難いものだったであろう。だから、ジャンヌロスに陥ったり、必死にジャンヌの信じた神を否定する。あるいは、シャルル7世の無能さを強く責める。そうすることによって、ジャンヌそのものを神聖化していった。


ジャンヌ以外の少女は、はたしてジャンヌと同じ苦しみに耐えられるか

①ジャンヌの最後の告解を聞いたマルタン・ラブニュ修道士と面会する

神は、信仰の深さ浅さで人を選んだりはいたしません。神の御心を推し量ることは出来ません。ただ祈り、願うのです

そして信じたいのです。愚かしく罪深い人間の性よりも、神の御意思がお強いということを。人の理性が、悪い欲望に屈することがいかに多くとも。いつかはその理性の正しさの支えとなる我々の力を超えた力が、聖なる御意思としてこの世に示されることを私は信じたいのです。
イエス・キリストとジャンヌに祈ります。あなたが救われますようにと!

ジルドレは、人の弱さに直面し、さらにジャンヌの死に直面したことで神の救いを信じることもできなくなって崩壊した。しかし、本当に神を信じるなら、ジャンヌが死んでも尚、信じ続けなければならないのかもしんないね。そんなの人にできることかどうかわからないけど



1453年百年戦争終結後の1455年にジャンヌ復権裁判

途中王太子ルイ(後のルイ11世。1423-83)との不和や、愛妾アニェス=ソレル(1422-1450。女性として初めてダイヤモンドを身につけたとして有名)の政界介入などもあって苦しんだが、シャルル7世は、長く心残りであったジャンヌ=ダルクの復権において、1455年、勅命によってジャンヌ復権裁判を開かせることにした。

これにより、翌1456年ルーアンで、ローマ教皇カリクストゥス3世(位1455-58)は、1431年のジャンヌ宗教裁判の無効を宣言、無罪と復権の判決が出、ジャンヌは名誉を回復した(時が経ち1920年にはローマ教会で、ジャンヌを聖女に列し、フランス国民の英雄として讃えられたのであった)。

1920年 第一次世界大戦期に愛国の象徴として「聖人」として都合よく担ぎ上げられる



ジャンヌ

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というわけで、ようやくこの漫画を読み切ることが出来ました。このマンガをパット読んでもろくに理解することが出来ず、その背景から理解したいと思って百年戦争関連のWikipediaやら新書やら他のマンガを読んで、ようやくおぼろげーに見えてきました。

この時代は本当に激しい時代だったのだなと思います。

ジャンヌ・ダルクについて④ 安彦良和「ジャンヌ」(前編)ジャンヌの死後からスタート 

「教えてジャンヌ!わたしにわかるようにはっきり答えて!なぜあの人達はわたしあなたの味方ではないの!?なぜあなたがいのちをかけて守ったシャルル国王様がひとりぼっちなの?そして、なぜあなたを見殺しにした王陛下を助けろというの?」
「言ったでしょう、なにがあっても……って。なぜかわからなくても、正しいことは信じ続けなければならないの」
「そんなのはダメ!そんなことなら……わたしは耐え続けていくことは出来ない!拷問されるかもしれない。殺されるかもしれない!それも耐えろというの!?なんだかわからないことのために!?そんなことできない!!」
「わたしは耐えたのよ。エミール。耐え続けてただお告げに従って……」
「そして、あなたは火あぶりになったのでしょう?私には無理!できない!!わたしはただの女です!あなたとは違うんです!ジャンヌ!お願いだからこれからは私を好きにさせて!わたしは自分で考えたいの!けっして悪いようにはしないから!」
「だめよ、エミール!なにもわかっていないのね!自分の力で一体何が見えるの!?人の力が何?自由が何?そうやって鎖で縛られてみてもまだわからないの?あなた以上のものに、あなたは従いなさい!!

この作品ではジャンヌは物語開始時点ですでに火刑で処刑されている。つまり生きているジャンヌは登場しません。かわりに主人公はロレーヌ公の妾(アリゾン・デュメ)の娘エミリー。ロレーヌ公が死んだ後は、素性を隠してボードクリール卿の養子になり女ではなく男「エミール」として育てられた。ジャンヌと似た運命を選んだ少女が、ジャンヌの足跡を辿っていく、という話。似た存在からジャンヌを語らせることにより、「ジャンヌ」というのがいかに特異点的存在であるかが浮かんでくるという構成ですね。

時代背景 「1440年のプラグリーの乱」発生時点からスタート。

1431年 ジャンヌ ルーアンにて処刑される
1431年 ブルゴーニュ公とフランス王家との間に休戦協定
1435年 アラスの和議が成立し、フランス王家(アルマニャック派)とブルゴーニュ公との間に同盟関係。
1439年 オルレアン三部会。フランス王国は軍の編成と課税の決定を行うが貴族が猛反発。
1440年 反発する貴族によるプラグリーの乱
1445年 常設軍「勅令隊」が設立
1449年~ フランスが一気に攻勢をかけてルーアン→フォルミニー→ボルドー→カスティヨンの戦いで勝利
1453年 百年戦争終結


アラスの和議までは

・シャルル7世(アルマニャック派)&ブルターニュ公ジャン5世&リッシュモン
・ブルゴーニュ公フィリップ

という感じだったのですが、その後は

・シャルル7世 VS 反シャルル派(アランソン公ジャンなどが王太子を擁立)
で争いになりました。

ジャン2世 (アランソン公) - Wikipedia

百年戦争後半にフランスがイギリスに勝てるようになってきたのはフランスの古い封建領主たちの騎兵中心の戦術から国王直轄軍&大砲による中央突破戦術へのシフトしたことが理由であり、この関係で、中央集権が進みつつあったのですね。こうなった時に、軍のトップであるリッシュモンに権力が集中しつつあったため、反動でこういう内乱状態になりました。 ぶっちゃけ、この漫画、このあたりの説明がほとんどないため、知識がないと出だしで躓きそう……。 


ジャンヌの生家 ドンレミ村訪問

この村で、エミリーはジャンヌの亡霊を見る。

①ジャンヌは村ではジャネットと呼ばれ、機織り作業をしていた。
②妖精の木の下で天使さまと出会った話を聞く。
③ジャンヌから、シャルル7世をなんとしても守れと告げられる。


オルレアン城訪問

①「ジャック・ブーシェの家」を訪れる。
②反シャルル7世陣営の面々と遭遇する。

王太子ルイ
・ラ・トレモイユ
・アランソン公ジャン2世
・ブルボン公
・ラ・イール
・ポトン・ド・サントラーユ
・オルレアン公シャルル・ドルレアン

③囚われの身にあうが、辛くも脱出する。

私はあの時…思わずジャンヌにすがったんだもの。神様に、ではなくジャンヌに。
いけないことだけど、神様。
わたしの信仰の心はまだそのくらいのか弱いものなんです。

ロレーヌ川を下ってオルレアン公領→ブロワ伯領→トゥーレーヌ伯領→アンジュー公領へと移動

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ジャンヌがシャルルと面会したのは、アンジュー公領のシノン

①アンジュー公「ルネ・ダンジュー」がジャンヌ・ダルクの仕掛け人であったことがわかる。
 (ロレーヌ公はアンジュー公の義父であり、ボードクリール卿はロレーヌ公の配下)

王太子ルイがトゥーレーヌ伯領に侵入。

③トゥーレーヌ伯領内にてシャルル7世と面会。

④シャルル7世とともに、アンジュー公領のアンジェに移動。リッシュモン大元帥と面会。
 (シャルル7世がリッシュモンを恐れ、煙たがっている様子が描かれる)


ジル・ド・レの館を訪問する

要するに金が無いのだ。それに尽きる。兵を増やすには多額の給料が要る。ラ・トレムイユが散々浪費したために、国の金庫は空同然になっておる。

①資金の融通を依頼するために、大富豪である「ジル・ド・レ」の元を訪れる。
 
②ジルから、戦場でのジャンヌの話を聞く。


ちなみにジルは、この直後に別件で逮捕されます。

1440年5月15日、所領を巡る争いからサン=テティエンヌ=ド=メール=モルトの聖職者を拉致・監禁したことから、告発され捕らえられる。この領地は1438年にジルがジャン5世に売っていたが、ブルターニュから派遣された家臣が厳しく税を取り立てたことに憤慨したジルが暴挙に出たのだが、これはまさにジャン5世の思う壺に嵌った。直ちに家臣のナント司教ジャン・ド・マレストロワがジルの身辺調査に乗り出し、7月29日に告発状が公布され、9月15日に逮捕されたジルはナント宗教裁判所へ出頭した。

ジャンヌがシャルル王太子と面会したシノン城へ

①シャルル7世軍とルイ王太子軍がいよいよ対決。緒戦はトゥール近郊の戦い。

②ロッシュへ移動






おまけ 百年戦争というあまりにはた迷惑なお家争いについて

なぜフランスは一つになって、イギリスに勝たねばならん?なぜブルゴーニュやアルマニャックやブルターニュが別々の国であってはいかん?ウィリアム征服王以来、王家の血脈が通じ合うイギリスとフランスが一緒になってはなぜいかん?そのどちらを取っていても、戦は多分とうに終わっていた。違うか?お前のような理屈では答えられまい。だが、俺に言わせれば簡単だ。強いものが、勝つんだ。神は裁かない。ただ勝者を祝福する。勝者が神をたたえ、勝ち取った富で点にも届く聖堂を建て、領地を与え、聖職者たちに金ピカの衣を着せれば、紙は全てをよしとする。

ジャンヌ・ダルクについて③ 「ルーアン」パリ大学からみたジャンヌ

パリ大学は明らかにジャンヌを嫌悪していた。

わけても聖職者ならぬ平信徒が、それも呪われた性である女が、神意を代弁できるかのごとく振る舞う思い上がりに関しては、かくいう私も位置論考をものして、世に問うたくらいである。

ジャンヌは割りとでしゃばりで「乙女戦争」で取り上げられているフス戦争に関して、フス教徒に「お前らは間違ってる」みたいな文書を送ったりもしてる。この当時はただでさえ聖職者が特権意識を持っており、聖職者は男尊女卑の極みのような人が多かったので、そりゃ女性が活躍しようものならそれだけで嫉妬することもあったでしょうね。


「魔女狩り」とか見るとホントキリスト教の当時の聖職者はひどすぎるなと思います。当時、聖職者としては堕落してるくらいがちょうどよくて、コンスタンツ公会議みたいな、世俗まみれまくりの会議の結果を正義とか思って真面目に異端者を焼き殺してた聖職者とかは、アイヒマン並に悪逆非道と裁かれるべきな人多いと思いますけどね……。キリスト教が中心でない歴史がもし今後の人類に存在するなら、キリスト教の過去は人類の暗黒面として取り扱われるかもしれませんね。

まぁそんなわけで、パリ大学の人間の傲慢ぶりが嫌というほど描かれているのが面白い。異端審問官の「コーション司教」は有名であるけれど、彼は元パリ大学の総長であり、かつコンピエーニュがあった「ボーヴェ司教区」の管轄だったらしいです。審問自体はルーアンでやったわけですが、ルーアン司教でもない彼が異端審問をつとめたってことですね。

一人の女性を捕まえで何度も処女検査を行ってるこの時代の聖職者たちの処女厨ぶりは異常

ポワティエでも、パリ大学主催の予備審問でもやってるのね。ただ、どちらにおいても純潔は保証されている。

この狂った聖職者は、女性を、男を誘惑するケガレた性と呼びながら、
処女は無茶苦茶神聖であり、悪魔を弾き返す力を持ってるというわけだから、処女厨ってレベルじゃねえよ。
ああでも、聖職者は建前上童貞が多いからそういうもんなんですかね。
この聖職者たちの悪魔の考え方は、割りと
童貞こじらせた非モテ男が、女の処女を奪う男をヤリチンって呼ぶ発想にスレスレであり、
ミソジニーこじらせた人たちは、今からでもこの過激派たちに弟子入りすればよいのでは。


当時のパリ大学の聖職者は一生懸命「啓示」の定義を考えていたらしい

ジャンヌが神の声をきいたということを否定したいが故に彼女が聞いた声は悪魔のものであり、つまり彼女は悪魔だと一生懸命主張しているこの聖職者、今の基準で考えると中二病なんて可愛いものだと思う。こんなんで人々から寄付をもらっていきられる職業って羨ましすぎるんですが。


①第一回~第四回審問  検事ジャン・デスヴィエ
 第四回目の時に、声の正体は「大天使ミシェル」であるという証言をジャンヌが行う。

②第五回目~      検事ジャン・ボーペール

尋問におけるジャンヌの応答の見事さはバーナード・ショウの戯曲に取り上げられるほど

はっきりいって、元々が無理矢理な話で証拠など無いわけで、難癖つけようと思えばいくらでもできる。
そんなわけで聖職者が無理難癖をつけてジャンヌを嘘つきの魔女に貶めようとするなか、ひらひらと交わすジャンヌの答弁が面白い。

考え方がおかしいが、やたらと糞真面目

ただ、この人達は、頭がおかしいかわりに勤勉で真面目である。
たとえ国からさっさとジャンヌを魔女認定しろと圧力をかけられても、彼らの論理でちゃんと勝利を収めるまでは延々と戦い続ける。そのために一ヶ月以上ずっと戦う。

とはいうても、コーションあたりは世俗に染まっているので、しびれを切らして、論理ではなくジャンヌを裁判外で傷つけ、弱らせて負けを認めさせるという卑怯な手を使った、というのが現在の通説。


結局キリスト教はすべての面でジャンヌを裏切った

むしろ、ジャンヌを殺すためにキリスト教の教義をフル活用(悪用)したのだから、この件はキリスト教黒歴史そのものでしょうね。ジャンヌが魔女でない限りはとうてい許されないことをした。のに、20世紀になってからジャンヌの名誉を回復した。どう落とし前つけるんだよって感じですよね。

キリスト教徒として生きる限り、あの女を救うことが出来ない。なんたる皮肉か。そのことを笑えないとするなら、もうほかに祈りようはなかった。ええ、神様。そうなのです。
「あの女を救うために、それなら悪魔を遣わせてくださいませ」

壊れたwww

ジャンヌ・ダルクについて② 「ジャンヌ・ダルクまたはロメ」ジャンヌ・ダルク私生児説をベースにしたお話

「ジョルジュ・ラ・トレモイユ」視点の腹心「ルイ・クルパン」という人物の視点からジャンヌを語る作品。ちょっとマニアックw

ジョルジュ・ラ・トレモイユについて

ジョルジュは反リッシュモン大元帥であり、リッシュモン大元帥はどちらかと言うとジャンヌ寄り扱いをされることから、結果として反ジャンヌと見られがちな人物。

ジャンヌ登場後、フランスが優勢になった後でも英国との休戦をシャルル7世に持ちかけたり、ジャンヌが捕虜になったときも身代金を払わず見捨てるようにそそのかした、みたいな感じで、ジャンヌ・ダルク好きな日本人から見ればマイナスイメージが強いかと思います。実際この本もそういう雰囲気で取り上げられてますね。

宰相として、無気力なシャルル7世から国政に関する一切を任された人物。悪く受け取るなら、三国志時代の蜀において、劉禅をたぶらかした悪宦官として知られる「黄皓」みたいな感じでしょうか。

ジャンヌの後ろで誰かが糸を引いていたのではないか、という疑惑について

そんなジョルジュは、自分の権力基盤が王の信頼に依存していることをよく理解しているため、警戒心が強いです。町娘とはいえ、いきなり現れてはシャルル7世の寵を受けたジャンヌ・ダルクにかなり猜疑心を持つ。ジャンヌ本人はともかく、「ジャンヌの後ろに黒幕が隠れているのではないか」ということを考えるわけですね

彼が真っ先に疑ったのは、神の啓示とかそういう話ではなく(それは誰かの仕込みだろうと考えていた)「ジャンヌ・ダルクが馬に乗れること」。宮廷で堂々と振る舞える、ということ。この当時貴族の男でもない人間が馬を乗りこなせる、ということ自体が不可解だと考えた。

むしろ受けたのは教育だ、とジョルジュは思う貴族としての教育だ。それも多分に男としての教育だ。やはり神ではなく、今日の日のために、あらゆる準備を密かに進めた黒幕がいるのだ。

これに関しては、創作ではあるものの流血女神伝において、実際にジョルジュが危惧したそのまんまのストーリーを読んだことがあるのでかなりリアリティを持って想像することが出来ました。

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そんなわけで、黒幕としてリッシュモンの他、オルレアン公、アランソン公、ブルボン公などを疑って、念のため身辺調査をさせることになります。



ジャンヌ・ダルクの故郷 ドンレミ村(シャンパーニュ地方の東端)でジャンヌの「人物について」の聞き込み調査を行う

英仏戦争の結果、周囲はすべてイギリスに支配され、飛び地として孤立している地域。領主の居城「ヴォークルール城」もイギリスに包囲され、ドンレミ村も何度となく襲撃され略奪にあったらしい。

で、パリがとっくにイギリスに恭順しているのに、この地域は孤立した状況にあっても、フランスへの忠誠心が高い土地柄であったと。で、土地の人もなぜかジャンヌのことを聖女と信じているようであった、と。

その後、史実としても知られている「ボードクリール」に一度門前払いになった後、徐々に話題となり、「ロレーヌ公」と会った後に、ボードクリール公がわざわざ兵士に護衛させて王のもとに送り出したこと、ポワティエ審問のことなんかについて語られる。

ヴォークルールからシノンにいる王の元に向かうまで何があったのか

ルイはまずヴォークルール城から王のもとまでジャンヌを送り届けた城兵たちに聞き込みを行う。

神の遣いだなんて名乗るだけあって、この世にはきれいなものしかないなんて本気で信じてる顔だった。汚いものもあるんだって、いや、この世は汚いものだらけなんだって、どうでも俺は教えてやりたくなったのさ。

この当時の男尊女卑は今の比ではなく、女一人が6人の城兵の男と一緒に旅をするという過程はあまりにも常軌を逸していた。これについて、身辺調査を行っているルイは当然邪推をするわけだが……。


ドムレミ村でのジャンヌの評判は……

「できすぎて、なんだか嫌味な子だったわ」
「あの子は、生まれたときから特別だったから」

ジャンヌが村で聖女として振る舞い始めたのは、たった1年前の1428年5月からだったらしい。それにも関わらず、村人たちは唖然とするばかりの急展開にも、妙に納得していた。


ジャンヌダルクの生家を訪れる

ジャンヌの家は、村の中では村長一家であり、地元の名士であり、豪農。
父はジャック・ダルク。母はイザベル・ロメ。地元ではジャンヌではなくジャネットと呼ばれていたらしい。
兄は三人、妹が一人いて、それぞれ「ジャックマン」「ピエール」「ジャン」「カトリーヌ」。ピエールとジャンは、ジャンヌの出立に合わせてオルレアンに出立していた。

ジャンヌは、婚約者アンリ・ポクランのところに嫁がず、親の顔を潰したため、父から勘当されている。(トゥール司教法定に訴えられた記録も残っていた)

→アンリは、「ジャンヌは、村の中に、婚約者のアンリ以外に想い人がいて、夜に幾度となく密会していた」と言うが……


ルイの報告を得て、ジョルジュが出した結論は……

ラ・ピュセルはジャック・ダルクとイザベル・ロメの実子ではない。(○○○の私生児である)

お、これはジャンヌファンなら有名な説の一つですね。この作品では、タイミングから推測して「オルレアン公ルイと淫乱王妃イザボーの間に生まれた私生児である」という推測を立てています。

閑話休題ですが、この当時フランスはただでさえイギリスに負けているのに、内紛を起こしており、特にアルマニャック派のgdgdぶりはほんとにひどい。このせいでイングランド・フランス二重王国状態が発生してるわけです。

アルマニャック派 - Wikipedia

宮廷を掌握したアルマニャック派だったが、1415年にフランス遠征を開始したイングランド王ヘンリー5世を撃破しようとしてアジャンクールの戦いで大敗、アランソン公は戦死、オルレアン公とブルボン公は捕虜となり、ブルターニュ公も弟アルテュール・ド・リッシュモンが捕らえられイングランドに反抗出来なくなり、アルマニャック派は大打撃を受けた。同年と翌1416年に王太子とベリー公も死去、1417年から行われたヘンリー5世のフランス征服にもアルマニャック派はなす術が無かった。1418年にブルゴーニュ派が扇動したパリ市民の再度の暴動でアルマニャック伯は殺され、パリは再びブルゴーニュ派が制圧した

ここからのどんでん返しが面白い。

ここで終わってしまっては、よくある俗説をなぞっただけのチープな展開で終わってしまいます。しかし、ジャンヌはジョルジュのこの推測を突っぱねます。この俗説はこの物語ではジャンヌ本人によって否定されてしまうわけですね。

私の推測が外れたということか。オルレアン公家ではなかったのか。してみると、ジャンヌ・ダルク、またはロメは全体なにものなのだ。

なまじ私生児説は読んだことがあり、てっきりその展開かと思っていたのでかなりびっくりしました。

しかし、ジャンヌはジャック・ダルクの子ではなく誰かの私生児であり、貴族の援助を受けていたことは状況から疑いようもない。しかし一体ジャンヌは誰の子であり、黒幕は誰なのか……とジョルジュが迷うものの、意外なところからあっさり答えが判明します。黒幕の正体はまさかのあの人物。同著者の作品の「傭兵ピエール」「カルチェ・ラタン」にも登場していたかの人物です。佐藤賢一さんはこの一族ほんとに好きだな!!!


黒幕の正体はわかったが、ジャンヌ・ダルクの正体は未だわからず

さて、ジャンヌの「黒幕」の正体がわかったジョルジュは、その「黒幕」のちからを削ぐために戦場においてジャンヌを孤立化・弱体化させる手を打つ。そして、ついにジャンヌはコンピエーニュの戦いでとらわれることになります。これで「黒幕」はもう力を失ってしまいます。


さて、ジョルジュに残された課題はあと一つ。「身代金を払ってジャンヌを救うべきかどうか。それとも見殺しにするか」。

見殺しにすればいいと思いつつもジョルジュは悩みます。なぜなら、「黒幕」の正体はわかってもジャンヌの正体がまだわからないから。ジャンヌの正体は、王であるシャルル7世は知っている、しかし自分はわからない。もしジャンヌの正体が王にとって絶対に見捨てられないほど重要であり、それにも関わらず見捨てるという選択をすれば、ラ・トレモイユは一発で王の信頼を失ってしまう。慎重にならざるを得ないわけですね。



そして、ついにジョルジュは、ジャンヌの正体を悟ります。そして、なぜ彼女が他の人に聖性を感じさせるオーラを持っていたのかも。それを知ったジョルジュは「ジャンヌは絶対に救うべし」と王に進言します。それだけジャンヌの正体は、王にとって重要な人物だったから



さて、それを受けた王の返答は……。




最後の終わり方は「えええええええええ!?」ってなりました。 消化不良感半端ない……。



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やっぱりこの人は長編が面白いかも。。。

ジャンヌ・ダルクについて①  関連人物について

ジャンヌダルクの活躍の期間は異常に短い。活動期間自体が1年にも満たず、その中でも活躍したのは本当に序盤の2ヶ月程度である。

★1429年3月にシャルル7世に謁見し、オルレアン包囲戦に関わったのは4月29日。ロワール川沿いのオルレアンが極めて重要な拠点であったこと、それ故に1428年10月から約半年以上戦い続けていたにも関わらず、ジャンヌ参戦後わずか8~10日後にフランス軍の勝利で完了するという展開は、そりゃ奇跡と言われるでしょう。

ジャンヌがオルレアン防衛のために取った戦法は、各要塞に分散された(各要塞の情報連絡には時間が掛かった)イングランド軍を立て続けに各個撃破するというもので、攻城戦は包囲後に講和を結んで終結するという当時のヨーロッパの常識から考えると「蛮族の行為」であった

http://d.hatena.ne.jp/houkouonchi/20130908/1378690079

このあと「ロワールキャンペーン」が実施されるくらいまでが全盛期。6月くらいまでは活躍するものの、もうこの後はジャンヌ自体が活躍して勝利を収めるという展開はほとんどない。シャルル7世がランスで戴冠式を行ったのは7月13日だけれど、その前の戦いからすでに活躍の主体はリッシュモン大元帥に移っている。11月ころからはジャンヌが参加した戦いでも失敗が多く、1430年5月23日にはついにコンピエーニュの戦いで破れて捕縛されてしまっている。

このあたりから、ジャンヌはオルレアン戦まで限定で本当に神通力があったのだとか、彼女の側に知恵袋がいたのだという発想も生まれるわけで、佐藤賢一さんの小説「傭兵ピエール」はそんな発想から生まれていると思われます。面白いよ。

ジャンヌダルクの活躍に関連ある人物など

①一番最初にジャンヌがアプローチした「ロベール・デュ・ボードリクール」


シノンで最初にジャンヌをチェックした「ラ・トレモイユ」

1429年3月6日、ジャンヌはボードリクールに護衛されてシノンに到着し、懐疑的であったラ・トレモイユと面会した。3月9日、ついに彼女は王太子に謁見した(王太子が最終的に彼女の「(魔)力(または彼女の有用性)」を確信した遭遇は、この2、3日前であった)[29]。それにも関わらず、王太子はジャンヌに最初にポワチエに行き、教会組織による検査を受けてくるように要求したが、聖職者により彼女は有害でなく、任務を安全にを引き受けることができると裁定が下ると、王太子は3月22日にようやく彼女の奉仕を受け入れることとなった。

③彼女を登用することを決めた「シャルル7世」



④オルレアン包囲戦において彼女と共に戦った「アランソン公ジャン2世」、「ジャン・ド・デュノワ」、「ラ・イル」(エティエンヌ・ド・ヴィニョル)または「ジル・ド・レ」など

ジャンヌ・ダルク関連だと日本ではとにかく「ジル・ド・レ」ばっかり目立つけど、こいつガチで無能のような気がする。いいところのボンボンが政争に巻き込まれたみたいな感じある。




⑤フランス勝利の真の立役者と言われる「リッシュモン」大元帥

1429年、ジャンヌ・ダルクイングランド軍が包囲しているオルレアンの救援をシャルル7世に願い出ると、消極的だったラ・トレモイユは主戦派の台頭を恐れジルにジャンヌを監視させ、オルレアン包囲戦が5月にフランス軍の勝利となり、ランス解放を目指して進軍するジャンヌらフランス軍にリッシュモンが合流すると阻止を図ったが失敗、リッシュモンはジャンヌ・ジルらと共にイングランド軍を6月のパテーの戦いで打ち破り、7月にランスでシャルル7世の戴冠式を実現させた。これ以上主戦派を勢いづかせないためラ・トレモイユはシャルル7世に進言してリッシュモンを再び遠ざけ、戴冠式に出席したジルをフランス元帥に任じて懐柔した。更に主戦派を出し抜こうとしてブルゴーニュ派と和平交渉に取り組み1430年までの休戦を取り付けた

⑥異端審問を行った司教コーションとそのエピソード
これについては「傭兵ピエール」や「ダンス・マカブル」というマンガあたりが描いてるけど、とてもゲスいのであまりオススメ出来ない……。

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トウェイン完訳コレクション マーク・トウェインのジャンヌ・ダルク ジャンヌ・ダルクについての個人的回想<トウェイン完訳コレクション> (角川文庫)[Kindle版]

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個人的には、ニシン戦争めっちゃ面白い

上野千鶴子や内田樹批判はもう意味がない。それに変わる知識人がいないことが問題

上野千鶴子批判は今更すぎる。この人は今更変わらないんだから、問題は次を考えることだと思う。

https://togetter.com/li/1080097
正直、この記事について、今更上野さんについて失望を表明している人たちの気持ちが私にはよくわかりませんでした。なぜなら、上野さんや内田さんはずっと前から、というか「おひとりさまの老後」という著書を出されたときからずっと同じことを言ってるからです。今までと同じことを言ってきてるのに、特定の表現が引っかかったからといって今更になって騒ぎ立てるのは、すごい違和感が有ります。


これは2010年に両者の間で論争があったときのログです。
http://blog.goo.ne.jp/midorinet002/e/c45d8356afe1f43efd1517ce947f1df2

まずこの記事のやりとりでは、内田樹さんがひどすぎる。知識人という立場を自ら放棄するような傲慢で無責任な態度に絶句させられます。*1


さすがに内田樹さんと比べれば、どちらがマシかと言えば断然上野さんでしょう。とはいえ、同時に、上野さんにしても、内田さんの酷さよりは多少マシという程度で基本的に前提は同じなんですよね。

「これから必要なのは、弱者が自尊感情を保ったまま生きていける手触りの暖かい相互支援、相互扶助の親密なネットワークを構築することだと思います」ということには、わたしも100%賛成である。

これだけだと批判のために都合の良い場所を切り取ったと感じる人も多いと思うので、是非リンク先の文章は全部読んで下さい。でも、この時から(おそらくはずっと前から)今に至るまで、上野千鶴子の主張なんてたいして変わってないわけです。

今の知識人に求めるべきことは何か

本当に困っているのは、上野千鶴子内田樹の意見それ自体ではなく、彼らが未だにもてはやされ、影響力を持てるような状態にあることです。知識人と呼ばれる界隈があまりに脆弱すぎると思われている。メディアも出版社も、何を担いでいいのかわからず、すでにオワコンを通り越してただの老害と化している人を担ぎ続けているというその状況がまずい。

上野千鶴子内田樹の意見がおかしい」っていうのは簡単です。「現状追認をして、自分たちだけ勝ち逃げしたい。」そういう老人たちの保身のようなものはもう思想と呼ぶに値しません。ですが、それ自体が問題なのではないのです。批判するだけなら簡単な腐った考えであっても、それを打ち負かす程度の力を持った意見が他にないってことです。他に何も意見が出ないから、すでに使い物にならなくなっている人たちがのさばり続けてるわけです。

アメリカでトランプが選ばれたってのは、リベラルへのあまりに強い失望、ヒラリーに代表されるエスタブリッシュメントが、下層の人間の切迫した状況に理解を示してくれていないという焦りや嫌悪感が突出して現れたということだと言われています。ここでその真偽を論じるつもりはありませんが、この話は日本にとっても他人事ではない。というか、日本はアメリカよりはるかに深刻な状況でしょう。もはや、思想家や知識人が全く機能しない。この国の先の姿を考えて提言できる力のある人がいないってことですから。そのくらい手詰まりだということを示してしまっている。




上野千鶴子内田樹の意見に今更突っ込むことはむなしすぎて全く興味がなかったのですが、この問題自体は考え続けないといけないかなと。

http://hirokimochizuki.hatenablog.com/entry/ueno.chizuko

難しい現状があるとき、今とは異なる理想を語ることがバカらしく思えたり、冷ややかな目で見られることはよくあることです。もしまだ知識人の役割というものがあるとすれば、そんな冷ややかな目線を軽く跳ね返し、現実的な社会状況とも正しく折り合いをつけながら、理想に近い道がどこにあるかを探り続けることではないかと私は思います。

移民を受け入れることが難しい。ならばどこをどう変えたらその難しさを緩和できるか。社会民主政党が存在せず国家の再分配機能を強化することが難しい。ならばどこをどう変えたらその難しさを緩和できるか。これらの問いに向き合い続けなければ、上野氏と似たような結論から抜け出すことはできません

こういう考えを持っている人たちがいるというのは心強いです。

よくよく考えてみれば、何にもないと言ってるわけではないです。

私はいろんな現状分析をしている本は面白く読んでます。
でも、これからに希望や理想を持てる本、少なくとも今何を考えるべきかを示してくれる本は読んでこなかった。

自分がそういう本を意識すらしてこなかっただけです。自分がそういうことを考えてこなかっただけですよね。

失望はするものの絶望するにはまだ早いかなと。また自分でも色々考えたり調べたりしてみたいものです。

*1:内田樹さんは、とにかく「事実」をただしく認識しようという努力を全くしない人でありつづけた人だと思います。自分の論が先にあって、それに都合の良い用に情報を集めるという「デマこい!」さんと同タイプ。自分の認識を事実と混同し、それについて「べき」論を唱える。そしてその「べき」論が自分の身体感覚、という人だ。身体感覚だより過ぎて、己の認識の正しさを担保する方法が他にない。まぁほんとに文学寄りの人なんですよね。調子がいい時期でもずっと陰謀論をやめられなかった。教育についてだけ語っていればよかったのに社会や経済に関してはずっとズレた発言しかしなかった。なので、その感覚が現実とそれほどずれてない時期は良かったけど、現実と乖離した場所に自分を置き続け、さらに教授職すら引退した後はもう頓珍漢なことしかいわないただの酒場のオヤジと化しました。今でも「ネームバリュー」「ニーズ」があるからといってこういう人を使い続けようとする出版社やメディアはWELQ並に迷惑なのでほんま勘弁して欲しい ttps://togetter.com/li/885412